「最近どう?」と気になるあの人に声をかけて近況を伺う本企画。第26回は、大阪・此花でアーティストランスペース「FIGYA」を運営する、アーティストのmizutamaさんを訪ねました。
オルタナティブであり続けるということ
2023年、「FIGYA」が10周年を迎えた。10月には周年企画として、ダンサー・捩子ぴじんさんとのパフォーマンス作品《FIGYA荒木mizutama》を上演。mizutamaさんへのインタビューをもとに構成された本作は、人生をふりかえる時間の重なりと、声を使った音響の重なりが溶け合うような、とても面白いものだった。mizutamaさん自身が語るインタビューの内容にも興味をもった筆者は、さっそく取材を申し入れた。
11月、同じく周年企画として、アーティスト・吉濱翔による展覧会「1 録音する_2 再生する?」が開催。秋晴れの午前中、吉濱によるフィールドレコーディング作品——沖縄の空に響くオスプレイの駆動音(の再生音)をかすかに感じながら、軒先のベンチに座って話しはじめた。
——FIGYA10周年、おめでとうございます。企画展やイベントなど忙しそうですが、最近どうですか?
mizutama:ありがとうございます。そうですね……最近感じるのは、コロナ以降顕著なんですが、ひとまわりくらい下の世代の人たちがFIGYAに出入りしてくれるようになって、「俺、先輩になっちゃったな」って(笑)。「何か(FIGYAで)やりたいです!」って企画を持ち込んでくれたり、展示があるごとに見に来てくれたりする若い人たちがまわりにいてくれるのは、心強いですね。対して、自分は何ができるだろう?といつも考えています。
——mizutamaさんが20代のときもそんな場所がありました?
mizutama:僕の場合は、此花の梅香堂がそうでした。2013年に急逝された後々田寿徳(ごごた・ひさのり)さんが運営していて、本当にいろんなことを教わりました。たとえば、アーティストのインストールを手伝いながらその技術や、作品自体のコンセプトを聞いたり、作家と知り合う機会になったり。後々田さんがボソッと言う「美術は奥行きが大事だ」とか「説明し切るな」「これが渋いんだよ」という言葉にいちいち反応していましたね。
——後々田さんの姿勢に触れるような場所でした。
mizutama:「東京ではな、オルタナティブ(スペース)は、四畳半でもやるんだ。その気合いがいるぞ?」みたいな。それからは、どんな小さい場所でも俺はやるぞと。そうやって梅香堂で美術のどこが面白いのかを叩き込まれた。2011年〜2013年あたりのことです。
——FIGYA前夜。
mizutama:そうですね。今思うと、後々田さんのような世代の人たちって、当時、現代美術やメディアアート黎明期の日本で、海外にあるような尖った展示もやろうとするような、オルタナティブな態度をもち合わせていた初期の世代だと思うんです。いろんなことを実験して、ICCにヘッドハンティングされて。時を経て自分たちもビッグバジェットの企画を動かすなか、激務でいろいろなことに限界を感じていたんだろうなぁと。ただ、全然諦めていなくて、最後は梅香堂に行き着いて、自分なりの美術を追い求めようとしていた。そんな時期に僕は出会って、それを自分なりにやっている。宿題ですね、これは。
——mizutamaさんなりに受け取ったものがある。
mizutama:FIGYAを紹介するときに「これもプロジェクト作品なんです」って言っています。ここで新しい価値が生まれる可能性があるし、アーティストとして生きていくアクティビズムのひとつでもあるから。日本だと作品然としたものをつくる、作品を売ることなどがアーティストのメインの仕事だと思われがちですが、展覧会企画もやるし、ライブパフォーマンスも、滞在制作のための施設立ち上げやその運用設計もやる。自分なりの思想をもって活動する姿勢は、梅香堂だけではなく、海外のコレクティブやスペース、現地のアーティストと出会うなかで培われていった気がします。
——FIGYAは、よくTRA-TRAVELの企画で海外からのアーティストが滞在制作していますし、mizutamaさん自身もアジア圏で活動している印象です。
mizutama:そうですね。8月にもタイのイサーンへ行ってきました。一昨年にFIGYAで滞在制作していたトゥイとワンが所属するコレクティブ「MAHASARAKHAM MID-FIELD ARTSPACE」のレジデンスプログラムに参加して。それこそ、作品をつくって売るだけじゃないアーティストのあり方、どんな場所でも制作する姿勢、ライフスタイルそのものがプロジェクト化している毎日を彼/彼女らから発見する日々でしたね。僕ら家族が行ったときはまだギャラリーができていなくて、メンバーや近所の大工さんが徹夜で完成させていたんですけど、「お前らが来るからちゃんとつくったぞ」みたいな(笑)。
——建物もイチから。どんな場所でしたか?
mizutama:いろんな国のアートスペースに行きましたが、こんな場所あんねやっていうくらいの田舎にあって。マハーサーラカームという県のなかの、大学を中心に発展したまちから15分ほど車で行った田園地帯。田んぼでお米をつくりつつ川魚を養殖していて、毎日お魚をいただきました。住み込みのアーティストが常に3人くらい、通っているのが2人いて。コンセプトである「Back to basic」を掲げ、ローカルの人たちとも絡みながらアート作品をつくっていくことをしっかりやろうとしている。
——mizutamaさんも魚を獲ったり?
mizutama:魚獲りにはじまり、寺院で地元の人にダンスで歓迎されたり、あと地元のおっちゃんたちがやってるモーラムのバンドとセッションしたり。みんな農作業終わりにワーって楽器を持ってきてセッションして、「お前良かったぞ!」って(笑)。まちの人もコレクティブの若いアーティストも、夜な夜なギターや伝統楽器を演奏しつつ歌うんですけど、それが一種のコミュニケーションの場になっているんですね。そういう文化。「どういう歌?」って英語を話せる子に聞いたら「イサーンは貧しいけど、農作業頑張って子どもを大学に行かせて、どんどんまちを良くしていこうっていう歌や」みたいな。
——上の世代が歌っていたのを聞いて若い世代もそれを歌う。
mizutama:そうそう。1970年代のベトナム戦争のときに、イサーンはトランジットエリアだったらしいんですよ。そのとき、ロックやレゲエとか、食べ物だとパン、あとマリファナとか、アメリカ文化が一気に持ち込まれて、もともとあった地元の文化——音楽でいえばモーラムミュージックと合わさって、今も更新され続けているという。
——すごい。作品づくりとしてはそういったところに着目していった?
mizutama:現地のコミュニケーションの場を見ていくなかで、まちなかでもみんなやたらと木の下に居るんですよ。暑いし日差しも強いから、ニワトリやウシ、イヌも人間も、だいたい木の下にいる。で、なんとなく隣同士で話したり、ひとりでぼーっとしたり、ご飯食べたり。木の下こそコミュニティスペースじゃないかと考えて、「アンダーザツリー」という言葉が浮かんだ。それを手がかりに、現地の風景をもとにした彫刻作品をつくって、ギャラリーに現地のアーティストと妻が緑色に染めた布を吊るしてギャラリー自体を木の下と見立てました。レセプションでは地元のモーラムのバンドや踊り手さんが総出でパフォーマンスをして。近所からトラックの屋台が集まって(笑)、美大の生徒さんや隣町のギャラリーオーナーなどお祭り騒ぎでいろんな人が来てくれました。
——さきほどのモーラムの話もそうですけど、異なる世代が一緒にいられる、話ができるような場を考えるときに、アートに限らず何かものを「つくる」っていうことの引力、強さがあるなぁと。
mizutama:たしかに。FIGYAがそういう場に少しはなりつつあるにはあるんですけど、ちょっと別の話になってしまうかもですが、最近よく聞かれるのが、「これからの10年、どうする?」みたいなこと。僕、本当はだれか継いでもらえる人がいるなら渡したいんですよね。さっき話したとおり、作品をつくるだけじゃなくて、アーティストの特殊技能っていろんなところに生かせるはずで。それは日本という場所に限らないもの。現在の活動の外側で此花区以外でもっと仕事がしたいんです。今ある生活基盤——民泊の管理などで食べているんですけど、もうその食いぶちごと渡せるんで。いい人いないですかね? FIGYAで企画展してみたい若いキュレーターやスペース運営等に興味ある人に会いたいですね。
2023年11月1日(水)、FIGYAにて収録
(取材:永江大[MUESUM])
mizutamaさんの最近気になる⚪︎⚪︎
場所=オルタナキッチンOooze(うーず/渦)
ダンサーの菊池航さんとバンドマンのまーちゃん2人で運営されています。1階はBAR、2階はイベントスペースでFIGYAみたいに小さい場所ですが即興ダンスやパフォーミングアーツの上演などを積極的に行っており、最近FIGYAはイベントをしていないのでこういった場が大阪にあるのはいいなぁと思います。
場所=藤井寺 マンションみどり
遊びに行かせてもらったとき、「自転車を直す」という謎イベントでいい空気が流れていました。確かギャラリースペースは自転車置き場を改装していたはず(自転車つながり?)。マンションみどりのマネージャー米田さんはアートスペースの運営方法の論文を書いたようで非常に興味がありもっと話してみたいです。
リズム=車のウインカーのBPM
先日車を乗り換えたのですが、はじめてのスポーツタイプでウインカーの音はタイトでBPMも早く「もっとスピードを出せ!」と車から囃し立てられているような感覚になります。展覧会づくりなどでも動線は考えますが、日々のなかで膨大な数の動線の上を自分は歩いているんだなと久しぶりに感じる出来事でした。
大阪市此花区梅香1-18-19