「生活の場としてのハンセン病療養所の記録と継承」と「見ない暴力/見る暴力」を主軸に、写真・映像・インスタレーションを用いて制作活動を行う木村直は、2歳ごろから両親に連れられ、20年以上国立療養所沖縄愛楽園に通い続ける。現在は、沖縄にある2か所のハンセン病療養所と青森の療養所(松丘保養園)、大阪に1909年に建てられた外島保養院を中心にフィールドワークしている。また、松丘保養園では、療養所の内と外を結ぶ目的で「ばっけ通信」という年4回の機関紙を発行している。
本展覧会は、外島保養院の現在の状況を記録するとともに、展示を行うことで、新たな外島保養院についての視点を共有する試みだ。
外島保養院は、1907(明治 40)年に公布された「癩予防ニ関スル件(法律第 11 号)」に基づき、全国 5 ヵ所に設置された公立療養所の一つとして、1909(明治 42)年に現在の大阪市西淀川区に開設されました。しかし、1934(昭和 9)年 9 月 21 日未明、史上 最大規模の「室戸台風」が高知県室戸岬付近に上陸し、大阪を含む京阪神地方に甚大な被害をもたらしました。外島保養院の施設 はほぼ全壊し、入所者 597 名のうち 173 名が命を落とし、職員や工事関係者を含む犠牲者は 196 名にのぼりました。
この悲劇の主因は、療養所に適さない 1 級河川の河口、海抜ゼロメートル地帯に建設されたことにありました。さらに、差別を背景とした反対運 動によって移転計画が実現しなかったことが災害を深刻化させ、「ハンセン病への差別が生んだ人災」と言われています。
現在、外島保養院の跡地は工場地帯として再開発され、当時の面影はほとんどありません。これらは、未来の全国のハンセン病療養所の姿なのではないかと考えられます。それ程までに、日本の全国のハンセン病療養所は次世代への継承をどのように行うか、個 別具体的な構想が外側から見えてきません。そこで本展では、外島保養院の現在の姿に焦点を当てつつ、人々の記憶から消えつつ あるハンセン病療養所の景色を考察します。
参考文献:「大阪にあったハンセン病療所 外島保養院」外島保養院の歴史をのこす会(2017年)
(展覧会ステートメントより)
会期:2025年3月14日(金)~3月23日(日)
会場:千鳥文化ホール
時間:11:30~18:00
休廊:3月18日(火)、19日(水)
料金:無料
大阪府大阪市住之江区北加賀屋5-2−28