
関西で活躍した画家・須田剋太(すだ こくた)の生誕 120 年記念展が、2026年10月16日(金)より、阿波座の大阪府立江之子島文化芸術創造センター[enoco]にて開催される。
須田剋太は、 1906(明治39)年、埼玉県北足立郡吹上町(現・鴻巣市)に生まれた。独学で絵を学び官展デビュー。30代半ばで関西へ移住し、抽象絵画を描き始めた。大阪府20世紀美術コレクションには、剋太の抽象画や、『週刊朝日』での司馬遼太郎の連載「街道をゆく」の挿絵など、2,000点以上が収蔵されている。
本展では、抽象と具象を往来した巨匠・須田剋太の作品を包括的に展観。官展に出展していた初期の具象絵画から、1950年代以降の抽象絵画、そして抽象と並行して描いた「街道をゆく」シリーズ挿絵のほか、人気を博してきた人物画や静物画など、多岐にわたるジャンルと技法で描き続けた剋太のさまざまな作品を展示する。
また、剋太独自の芸術論と子どもの美術教育論にもフォーカス。さまざまな媒体に寄稿・執筆された剋太の造型論(=芸術論)に着目し、いくつかのキーワードを手がかりにしながら、剋太がめざした芸術のあり方について考察する。
いっときも止まることなく動き続ける生命の活動を、ひとつの静止した形にして取り出すこと——精神の物質化を剋太は「造型」と呼び、それを追求し続けた。
多彩な作品と造型論をあわせて紹介する本展は、剋太の表現を、その思想からも見つめ直す機会となる。
須田剋太(1906〜1990) プロフィール
1906(明治39)年、埼玉県北足立郡吹上村(現・鴻巣市)に生まれる。本名・勝三郎。村立吹上尋常高等小学校卒業後、埼玉県立熊谷中学校に入学するも腎臓を患い3年間休学し、軽井沢で転地療養する。1927(昭和2)年3月、埼玉県立熊谷中学校を卒業し東京美術学校を受験するが不合格。その後も毎年受験を続けるが4度続けて不合格となり、浦和(現・さいたま市)の別所沼のほとりに画室を建てて暮らす。1934(昭和10)年頃、画家の寺内萬治郎に光風会への入会を勧められ、その後光風会や文展等に相次いで入選する。
1941(昭和16)年、憧れていた関西に転居。1942(昭和17)年、第5回新文展で《神将》が特選となる。東大寺観音院住職の上司海雲と出会い、観音院の土蔵の一部を改造してアトリエとして提供してもらう。1946(昭和21)年、奈良に集う美術家や宗教家による「天平乃会」発足に参加。1947(昭和22)年、《ピンクのターバン》が第3回日展で特選となる。翌年、美学者・井島勉の知友による「転石会」の会員となり、画家・長谷川三郎の知遇を得る。この出会いは剋太の造形と精神の双方に大きな影響を与え、抽象絵画へと向かうきっかけとなった。1949(昭和24)年、国画会会員となり 1988年に退会するまで毎年出品。翌年に個展を開催して以後、数多くの個展や国際展へ出品するとともに、『書の美』に発表された「原始と書」などの書画論も多く執筆する。1971(昭和46)年、『週刊朝日』ではじまった司馬遼太郎の連載「街道をゆく」の挿絵を担当し、1990年までの約20年間制作を続けた。晩年、埼玉県立近代美術館、飯田市立美術博物館、大阪府にそれぞれ作品を寄贈。大阪府は「街道をゆく」挿絵および抽象画を2,228点収蔵している。
会期:2026年10月16日(金)〜11月14日(土)
会場:大阪府立江之子島文化芸術創造センター[enoco]4階 Room 1, 2, 3
時間:10:30〜18:00 ※最終日のみ 13:00 まで
料金:入場無料
関連イベント
中ハシ克シゲ 講演会「剋太の「造型」をめぐって」
日時:10月17日(土)13:30〜15:00
※定員に達したため募集締切黒宮菜菜 ワークショップ「剋太にまなぶ絵肌(えはだ)づくり」
蜜蝋を使った油彩画や染料を使った和紙作品など、異なる素材で作品を制作する画家・黒宮菜菜によるワークショップ。油彩とグワッシュで全く異なる表現に挑戦した須田剋太の絵画作品をじっくり観察してから、色や形だけでなく絵のさまざまな表面の質感=「絵肌(えはだ)」をつくることによる作品制作に挑戦。
日時:10月25日(日)13:30〜15:00
会場:enoco 2階 Room8
定員:15 名
参加費:2,000 円(税・材料費込)
※参加申込はこちら主催:大阪府立江之子島文化芸術創造センター [enoco]
大阪市西区江之子島2-1-34












