たぬきがニカッと笑うポスターが目に留まった。豊中で落語会が開かれるらしい。しかも、市民参加型の地域リサーチをもとにした内容だという。
この落語会は、豊中市立文化芸術センターが2021年から実施している「とよなかアーツプロジェクト」の一環。同プロジェクトでは、アーティストと市民の協働型コミュニティプログラムを展開し、2023年度から2024年度にかけ、千里ニュータウンをフィールドにまち・暮らしをリサーチする企画「千里考今物語」を実施してきた。その活動の成果発表の機会が、本イベント「落語たぬき〜ほんまみたいなうそのはなし」(以下、「落語たぬき」)だ。興味をそそられ取材を依頼すると、公演のみならず、事前の舞台稽古も覗かせてもらえることとなった。

千里考今物語は、アーティストの辰巳雄基さんが案内人となり、希望参加者で構成された「もぐら調査団」と進めてきた。日本初の大規模住宅都市として、約60年前に誕生した千里ニュータウン。当時、この地に移り住んだ人々がまちの成り立ちをどのように見ていたか、また日常をどう過ごしていたかを、ヒアリングを通じて記録してきた。
リサーチのベースとなる「地域の声」は、現在もニュータウンに暮らす60代から90代の住民を訪ねることからはじまった。そしてインタビューを行いながら、彼らの友人や家族へと話をつなげていく。活動内容は、メンバーが2ヵ月に1度のペースで制作・発行する『千里もぐら新聞』で発信するとともに、リサーチの成果を発表する自主イベントとしてもお披露目。2024年11月には体験型ツアー展示「きつね囃子〜うそみたいなほんまのはなし」を行い、その続編として準備を進めてきたのが今回の創作落語会「落語たぬき」となる。


体験型ツアー展示と創作落語という手法が登場した背景には、「言葉だけでなく、身体表現を通じて物語を伝えることで、観客のみならず調査員自身にもより深く、ユニークなかたちでまちの起こりを伝える新しいアプローチを試みたかったんです」と辰巳さんは話す。きつねとたぬきは、開発前のこのエリアに住んでいた動物たちの代表として、アイコン的に起用したそうだ。
プロジェクトが始動したときは、具体的なテーマや方向性は定まっていなかった。辰巳さんは「18歳から70代まで、年齢もバックグラウンドも異なるメンバーが、それぞれの得意なことを持ち寄ってくれました。私が引っ張るというより、メンバーそれぞれの意見や動きに任せて進めた感覚が強いです」と振り返る。

こうして迎えた「落語たぬき」の本番当日。会場の豊中市立伝統芸能館は満席となり、老若男女が舞台に注目していた。

登壇した噺家は、桂二乗さん、猪名川亭あん光さん、千里家圓九さんの3名。幕が上がると、舞台背景には約60年前の千里ニュータウンや北摂地域の風景が手描きされた屏風が置かれていた。緑の山々と青空。そこに突如誕生したニュータウンは、かつてたぬきが住んでいた土地の上に広がる大規模な都市計画だった。移り住んだ人々が新たな自治を築いていく。そのストーリーが、ただの「昔話」ではなく、落語というかたちに落とし込まれていた。

3名の噺家により披露された3演目はすべて、千里ニュータウンをテーマに制作された落語だ。古典落語をアレンジしたものもあれば、リサーチをもとにしてつくられた初公開のものもあった。脚本を手がけたのは、上田邦夫さん。『千里もぐら新聞』の制作過程で集められた約700のキーワードカードから言葉を厳選し、落語の構成を組み立てた。そして生まれたのが「千里狸」。住み場を追いやられたたぬきが、人間に化けて団地に暮らすという内容だ。
1973年に大丸ピーコック千里中央店から広まったと言われている、オイルショックにより世の中からトイレットペーパーが品薄になった「トイレットペーパー騒動」、家族連れでにぎわう団地の様子、ニュータウンの開発にともなう人口増加で学校に転校生がどんどんやってくる日常……物語に描かれるさまざまな描写には、リサーチに基づいて掘り起こされた当時の暮らしが反映されていた。笑いあり涙あり、といった人情味あふれる30分のストーリーだった。

約2年にわたるリサーチの成果が、このように届けられたことはとても印象的だった。図書館で古い文献をひもとくのではなく、実際に地域に入って住民から数珠つなぎで話を聞いたからこそ、リアルな声や記録には残らない日常のディテールが紡がれたのだ。



古典落語では、噺を通じて江戸時代の日常をありありと思い描くことができる。今回の創作落語でも同様に、千里ニュータウンの歴史を追体験できるような感覚が湧いた。笑いを通して地域の記憶を伝えるという、このアプローチに感動すら覚えた。「伝えたい」「残したい」という想いが強すぎると、総じて一方通行になりがちだ。しかしそれを口伝や身体を通した表現に変換するだけで、驚くほど自然に、やわらかく受け入れることができる。
そんな気づきを与えてくれた「落語たぬき」。また今度、自分の足で千里ニュータウンを歩いてみよう。想像力というスパイスが加わることで、見えてくるまちの景色は変わる。きっとたぬきたちは、今でもどこかで笑っているのだろう。

日時:2025年1月11日(土)会場13:30、開演14:00
会場:豊中市立伝統芸能館出演・演目:
桂二乗「やかんなめ」、猪名川亭あん光「千里狸」(創作落語)、千里家圓九「七度狐」
もぐら調査団・調査員:井藤里香・うー・内田好美・大西達也・kazumi・川瀬亘・空閑綾香・空閑悠姫・楠田恭子・楠田雅紀・齋木健司・角谷穂乃香・辰巳雄基・内藤 麻子・中川なつみ・仲平郁代・中村幸子・西野侑子・長谷川かおり・林ゆかり・福田美樹・山城大督・山中康子屏風絵:安芸早穂子
創作落語脚本:上田邦夫(尾長猫考房)
出囃子:三味線/千鶴 太鼓/桂二乗、千里家圓九 笛/葛葉亭月見
題字:松永美紀
関連イベント
千里考今物語「サテライト展-もぐら新聞の裏側」
もぐら調査団が発行する『千里もぐら新聞』制作の裏側や、調査で聞き取りをしたキーワードを紹介するほか、こどもたちと制作した模型、千里ニュータウンができる前の北摂の風景が描かれた金屏風などを展示。期間:2025年2月25日(火)〜3月9日(日)
時間:9:00〜17:30
会場:千里ニュータウンプラザ2F エントランスホール
休館:月曜
入場料:無料