肥後橋のYoshimi Artsにて、佐藤未希の個展「おもかげを求めて」が開催。
佐藤は1986年生まれ、東北芸術工科⼤学美術科洋画コース卒業、同⼤学⼤学院博士課程修了。
これまで一環して「顔」をモチーフとして作品を制作してきたが、本展ではモチーフは同じながら、「かげ」に焦点をあてた新作を発表する。「かげ」は、現代では光の当たらない闇の部分を指すが、古くは光を含めた陰影を意味したという。佐藤はそのような「かげ」の語源的な意味を紐解きながら制作を進めた。
また、これまではさまざまなメディアで流通する既存のイメージにドローイングを重ね考察を行い、そのドローイングを基に油画を描いてきたが、今回展示する作品は自身に関わる記録や記憶をもとにして制作。佐藤の新たな展開が注目される。
古く⽇本においては、光を「かげ」と⾔い、光のともなう姿としての陰影もまた「かげ」と言った。つまり、「かげ」は語源的にきらきらとした輝きや光そのものを意味するとともに、その光に照らされるものの形貌や、その背後にできる闇の部分を意味する言葉であった。
だが、現代において「かげ」は「影」または「陰」と綴り、光のあたらないところ、光の背後にできる闇の部分(shadow)という側面だけがその意味するところとなった。私と私の「かげ」はこれまでもこれからもつねに分かち難く共にある。⽣まれたそのときから光あるところには必ず存在し、私がその⽣を全うするそのときにおそらく「かげ」もまた消える。しかし、現代を⽣きる私たちの「かげ」はある意味ではじめからほとんど消えている。光と分化した「かげ」は意識の外へと追いやられ、つねに無意識のうちにあるからだ。
それはただ取るに⾜らない存在だからだろうか。おそらくそうではない。「かげ」はしばしば矛盾をはらみ、不穏で非合理的で得体の知れないものだからである。
しかし、意識と無意識の領域はそもそも画然としたものなのだろうか。今はほとんど忘れ去られた光と分かち難く結びついた「かげ」。それは見えもし見えずもある。私は意識と無意識が混ざりあう場所で、そうしたものの感覚的実体を丁寧に拾い上げ、「手触り」をかたちにしている。罔兩、景に問いて曰わく、曩には子行き、今は子止まる。曩には子坐し、今は子起つ。何ぞ其れ特操なきやと。景曰わく、吾れは待つ有りて然る者か。吾が待つ所は又た待つ有りて然る者か。吾れは蛇蚹・蜩翼を待つか。悪くんぞ然る所以を識らん。悪くんぞ然らざる所以を識らんと。
金谷治訳註『荘子 第一冊』岩波文庫、1971年
荘子に倣えば、あるがままの様相を是認すべきだろう。しかし、これがもし自らの「かげ」よってかわされた問答ならば、主体としての「私」はどのように応え、どのように振る舞うのか。その応えが、振る舞いが、自身を変化させ、「私」を動かしている目に見えない遠くの「何か」をも変えていく可能性があるのではないだろうか。
佐藤未希
会期:2023年6月7日(水)~25日(日)
※作家在廊:6月7日(水)会場:Yoshimi Arts
時間:12:00〜19:00(日曜:~17:00)
休廊:月・火曜
問合:info@yoshimiarts.com 06-6443-0080
大阪市西区江戸堀1-8-24
若狭ビル3F