
ワンタニー・シリパッタナーナンタクーン(Wantanee Siripattananuntakul)は、バンコクを拠点に国際的に活動するアーティストです。2025年5月よりPARADISE AIRのアーティストインレジデンスとして松戸に滞在し、「空き家」をテーマに新作のリサーチと制作を行っています。また、大阪にも1週間滞在し、都市と記憶にまつわるリサーチを行います。
シリパッタナーナンタクーンは、一緒に暮らすアフリカンパロット「ボイス(Beuys)」との共同制作や、人間と非人間の関係性、経済、所有、記憶、喪失といったテーマを鋭く掘り下げ、映像、彫刻、インスタレーションなど多様なメディアで表現しています。これまで第53回ヴェニスビエンナーレ・タイ館代表、FRIEZE London 2023、タイランドビエンナーレ2023など、世界各地で作品を発表してきました。
今回の「Beer with Artist vol.8」では、シリパッタナーナンタクーンとともに街を歩きながら、「空き家」や「家の記憶」について考えます。アーティストからの問いかけに、参加者が応える対話形式で進行し、日常のなかに潜む社会的なテーマを身近に感じるひとときを目指します。
本イベントは、「アーティストに聞いてみる」をテーマに、気軽に相談や交流ができるカジュアルな場として、新たなつながりを生み出すことを目的としています。
タイにとどまらず、さまざまな文化や国を渡り歩いてきたアーティストとしての経験や、現在滞在中の松戸でのリサーチ、さらに6月にシラパコーン大学アートセンターで開催予定の個展についての話など、自由な対話を楽しめる場になればと思います。表現することや個人としての葛藤など、アーティスト本人へのざっくばらんな質問や相談も大歓迎です。
(TRA-TRAVEL)

ワンタニー・シリパッタナーナンタクーン
アーティスト
1974年、タイ・バンコク生まれのワンタニー・シリパッタナーナンタクーン(Wantanee Siripattananuntakul)は、社会・政治・経済の構造、不平等やイデオロギーが日常生活に与える影響に焦点を当て、詩的な問いとグローバルな構造への批評的なまなざしに根差した実践(映像、オーディオ、彫刻、インスタレーションなど)を行うアーティスト。
2009年には、第53回ヴェニスビエンナーレ・タイ館に選出され、その後も、National Museum of Modern and Contemporary Art(ソウルl)、Museo MACRO(ローマ)、MAIIAM Contemporary Art Museum(チェンマイ)、Frieze Art Fair(ロンドン)など、国際的な美術館やビエンナーレ、アートフェアで作品を発表しています。
2025年5月現在、松戸のPARADISE AIRにてアーティスト・イン・レジデンスとして滞在し、記憶、生態系、都市空間の静かな変容をテーマにした新作を制作中しています。
TRA-TRAVELのメンバー・Qenji Yoshidaによるアーティスト・インタビュー
Qenji Yoshida(以下QY): ワンタニーさんは近年世界中の様々な地域で活動をされていますが、まずはご自身がどんなアーティストで、どんなことに関心をもって制作されているのか、簡潔に自己紹介いただけますか?
Wantanee Siripattananuntakul(以下WS):私の作品は映像、音、彫刻、インスタレーションの間を行き来しますが、自分ではそれらを特に区分しているのわけではなく、「問いを立てる方法」として捉えています。階級、所有、相続、種のヒエラルキーといったシステムを通して、政治的・経済的・感情的な力が私たちの暮らしに与える影響を探っています。近年はより動物や石、光といった人間に限らない存在との協働により関心をよせています。彼らはただの象徴ではなく、紡がれる歴史を共に目撃し、参加している存在だと考えているからです。

QY: 近年のご活動を追えていないので、今回お話を聞けるのがとても楽しみです。
現在、松戸のPARADISE AIRでアーティスト・イン・レジデンスに参加されているとのことですが、そこではどのようなプロジェクトやリサーチを行っているのでしょうか?
WS:今、松戸で取り組んでいるプロジェクトでは、日本の「空き家」に潜む重層的な物語を探っています。私は街を歩き、写真を撮り、断片を収集し、近隣に住む人や、その場所に今も想いを寄せている人たちに話を聞いています。
家が空き家になる理由は決して単純ではありません。法制度や感情的な距離の問題だけでなく、経済的な負担、地域の政治、口にされにくいコミュニティの懸念など、さまざまな要因が絡み合っています。たとえば松戸では、地元の職員から「税負担の問題よりも、近隣住民の安全への不安や、景観を保たなければという圧力が空き家問題の発端だった」と教えてもらいました。
私はこうした「間(あいだ)」の空間―記憶やケア、制度的な力が交錯する場所―に惹かれています。
空き家は、単に放置された建物ではなく、ためらいや圧力、そして移行の記録として、静かにそこに在り続けているのだと感じます。

QY: 人、記憶、所有や経済、人口など、さまざまな要因が複雑に交差するテーマとして「空き家」なのですね、かなり面白いですね。
なかなか簡単には扱えない難しさもあるテーマだと思いますが、今回の松戸や大阪でのリサーチが今後どのように展開していくのか、とても楽しみにしています。
この「空き家」にまつわる問題は、タイでも似たような状況があるのでしょうか?
WS:タイに現在の日本のような「空き家」問題があるかどうかははっきりとは言えませんが、さまざまな理由で空き家になっている住宅は多くあります。
タイでは、一般の人々にとって住宅ローンの仕組みがとても複雑で、家を買うのは簡単ではありません。金利も非常に高く、私が大洪水の後に特別プロモーションで家を購入したときですら、最低でも3%の金利を払う必要がありました。通常は5〜6%が一般的で、長期的には大きな負担になります。
そのため、ローンの支払いが続けられずに銀行に差し押さえられ、住宅が中古物件として再び市場に出されるケースが多くあります。
もう一つの問題は、仕事が見つからずその地域を離れる必要がある場合です。その際、家を残して賃貸に出そうとするのですが、タイでは賃貸契約の法律が弱く、貸主を守る仕組みが十分ではありません。借主が物件を大切に扱わなくても、対処できる手段が限られています。
上記のように、タイにも空き家は多くあります。ただし、それは日本のような地方の「過疎化」によるものではなく、経済的な圧力、不安定な住宅制度、そして法的保護の弱さによるものでしょう。これを「空き家」と呼べるのかはまだ考えているところですが、別の力によって形作られた、構造的な「放置」だと言えるかもしれませんね。

QY: 今回の大阪のイベントでは、ギャラリーなどでのトークイベントではなく、歩きながら行います。ワンタニーさんご自身も、日本や大阪の「空き家」について、参加者にむしろ質問をしてみたいと話されていましたが、具体的にはどのようなことを聞いてみたいと考えていますか?
WS: 一緒に街を歩きながら観察し、より自然なかたちで思考を交換するような時間にしたいと考えています。 最初から自分の考えを提示するのではなく、参加者に「空き家」についていくつか質問を投げかけたいと思っています。
例えば
1. 記憶をもつと思えるような家を見かけたことはありますか? そのとき、どんな気持ちになりましたか?
2. 誰にも見られていないとき、空き家の中では何が起きていると思いますか?
3. 離れたくなかった場所を手放さなければならなかった経験はありますか?
4. 手放したくないのに、それでも人が家を手放すのはなぜだと思いますか?
これらの問いは、個人的な記憶や想像、そして大きな社会的構造について静かに考える空間を生み出します。 散歩中には参加者の声をいくつか映像で記録できればとも考えています。 これらの映像は、のちに「ケア」「不在」「都市の重層的な生命」に関するより大きな作品の一部になる可能性があると考えています。”