かつてのように都会と田舎を分けて考えることが無効になり、プラネタリーに都市化が進む現代。地球規模で加速し続ける生産・消費のサイクルのなかで、生きるための経済活動と今日を生きていくことは、必ずしも結びつくものではなくなっている。そんな都市生活に、ふと生きづらさを感じる瞬間があるかもしれない。
今回の対談では、2019年に猪瀬浩平氏さんが上梓した『分解者たち 見沼田んぼのほとりを生きる』(生活書院)を手引きに、時代とともに変化する都市と人々の社会活動を観察する。そして、生産と消費、その先にある「分解」という人間本来の役割を見つめていくことで、これからの都市生活のための手立てを探していく。
収録:2020年9月8日(火)ZOOMにて
取材:永江大・羽生千晶(MUESUM)
2 コロナ禍の現代を生きていく
家成:さて、話は変わりますが、猪瀬さんと久保明教さんの「往復書簡 忘却することの痕跡 コロナ時代を記述する人類学」(『現代思想』2020年8月号, 青土社, 2020)を読ませていただき、めちゃくちゃおもしろかったんですよね。特に、緊急事態宣言が解除された後に近所のスナックから「六甲おろし」の歌声が聞こえてきて、あまりにも大音量なので注意するために2カ月ぶりに酒場に足を踏み入れる話。その束の間の出来事を心のどこかで必要としていた、と書かれていましたね。
猪瀬:ある人に話したら、「六甲おろし」がポイントだと言っていました。埼玉には、阪神ファンが少ない。もしかしたら、コロナ禍で自分たちを奮い立たせようとして歌っていたんじゃないか。だからお店も普段は閉めている扉を開けていたんじゃないかと。こっちは家でひとりで飯を食っていたので、素直に「やめてくれ」と言ってみたところ、「お前は、阪神ファンじゃないのか?」って言われて。いやいや、そういう話ではないんだけど(笑)
家成:緊急事態宣言下で、日常にあったやりとりが奪われていたことにも気づかされますし、その一瞬の交わりが琴線に触れたというのが、何よりおもしろい!
猪瀬:ありがとうございます(笑)。僕は、コロナウイルス感染症をめぐって、語ることのできる言葉があまりにも乏しいと感じています。語彙が激減し、一見正論のようなものであっても、それだけでは何の保証にもならない。一般論的に「感染した人は悪くない」とは言われるものの、感染する前の具体的な行為は、その内容によって責められるというのが現状です。「どんな理由で感染したとしても悪くない」とまで言い切ることができる社会でなければ、どこからでも批判は生まれ、息苦しさは変わらないと思うんですね。「感染させる/させない」の二元論と違うところにある判断基準をどう生み出すのかが大事なのではないでしょうか。
家成:猪瀬さんがおっしゃるとおりで、判断基準をどう持つかが重要だと思いますね。最近、社会の語彙が乏しくなることで、自警団的な動きが目立ちます。飲みに行くにも罪悪感が伴い、でも、それで楽しみが減るのはどうなのかと思うところもある。さまざまに思考を巡らせながら、結局、飲んでいるうちに忘れてしまうんですけどね(笑)。猪瀬さんは毎週農園に行かれるそうですが、こうしたアンバランスな状況において、農園に行くことで感じるものはありますか?
猪瀬:まず、家族以外の人に会えることはいいですよね。たとえば、GW中には里芋の植え付けや、トマトなど夏野菜の定植をしないといけない。農園で活動している人たちは出荷もしているので、草取りや野菜の手入れや収穫、出荷の準備も必要です。そんな風に“不要不急でない”作業があるので、農園に行くと人がいます。以前のように一緒に煮炊きして、ご飯を食べるということはありませんが、ほかに行くところもないので、GWなども例年のように作業に必要な人手がありました。ずっと家にいてオンラインで誰かとつながるのとは違う体験ですよね。また、畑が人間の混乱とは異なるモードで動いていることにあらためて気づかされました。ウイルスの流行とは関係なく、雑草は生えるし、作物は育ち、枯れていく。その経過を追えることがよかったですね。
家成:それはいいですね。里芋もトマトも待ったなし。人間の論理とは異なる世界が他者との共同作業を生み、人と会う理由をつくる。
猪瀬:そのとき、丁寧に見なくてはいけないのが、農園にも横浜など遠方の人が来なくなったことと、突然ふらっと訪れる“よそ者”に対して走る緊張感です。ここに、都市から農村に行きづらくなり、農村は都市から来た人を歓迎できないという構図が浮かび上がってくるように感じます。農村は都会と比較して人が少ないため感染症に強いという見解がありますが、それは外からやってきたり、帰って来たりする人たちを受け入れることに壁があるからとも言えます。そして、それはもともとあった“よそ者”や地域の内側にいるマイノリティに対する排他性とつながっていることもある。農村を過度に理想化せず、それぞれの地域のありようを丁寧に見ていく必要があるように思いますね。
家成:血縁的なしがらみ、排他性、疎外感。農村には農村のしんどさがあるでしょうが、僕の場合は街なかで生まれ育ったので、田舎がない。農村に限ることではありませんが、行く宛があることへの憧れはありますね。
猪瀬:「行く宛」というのは大切ですよね。コロナ禍のある日、うちの娘が、静岡でみかん山を運営する知人に「遊びに行ってもいいですか?」って聞いたんですね。すると彼は「いつでも来い」って答えるわけです。農村にいながら自分の価値判断で「来い」と言えてしまう感じが、まさに都市と農村のハイブリッドだと感じました。ボランティア学会で知り合った山梨さんという方で、彼はみかん山をコモンズにしています。みかんの木それぞれにオーナーがいて、冬の温州みかんの収穫期にはオーナーたちが訪ねて行き、夏みかんは山梨さんたちが収穫して全国各地へ配達する。何年かに一度、見沼にも届けに来てくれて、僕も温州みかんの収穫期や、夏草の大変な時期に彼のもとを訪ねます。国際NGOの方と一緒に活動されていたこともあり、僕のような知人が全国にいて、拠り所がたくさんあります。ここで重要なのは、互いが互いのまれびとであること。来訪され、自分も来訪することではないでしょうか。
家成:行き来できる状況を自らつくり出していくこと、多拠点的なあり方は、ひとつの強さですね。「いつでも来いよ」って言ってくれる場所があることの大切さも、この状況だからこそ痛感します。
猪瀬:コロナ流行前は学生も連れて何度か訪問しました。山梨さんはみかん山でひとりで暮らしていて、「もし俺が死んだら、人が見つけるよりも前にカラスがつつきに来るな」」とか、ゲラゲラ笑いながら話すもんだから、学生の目には寂しい独居老人のように映ることもあるようです。実際には、山梨さんの拠点はおやじたちのグループホームのように賑わっていて、互いの寄る辺のなさを共有して笑っている。村社会のような共同体が成り立たない時代を前提とした集まりというか、いろんな苦労を抱えながら併存している感覚が、すごく居心地がいいんですよね。
家成:山梨さんにとても興味が湧いてきました。みかん山にお伺いしてみたいですね。
猪瀬:ある年、学生と一緒に山梨さんを訪ねたときのことです。みかん山に着いた途端にどしゃぶりの雨になり、外に出ることができず、山梨さんは昼から一升瓶を開けて飲みはじめてしまった。学生たちは、来訪の目的を果たそうとしないことに混乱していたようでした。そこに、山梨さんの仲間の訳ありのおやじが登場して身の上話をしはじめ、外に出られない学生たちは、その話にえんえんと付き合わされる。すると、ある瞬間に学生たちは「自然に勝てないとはこういうことか」と気づく。人間が立てた予定はそのとおりにはいかないと、いくら言葉で伝えてもだめで、昼間から酒を飲んでいるほうがよっぽど伝わったという(笑)
家成:なるほど(笑)。最近は、暴風警報が出ないと休講にならないじゃないですか。昔は大雨警報でも休みになっていたので、頻繁に休みがあった。中学生の頃は休校になると商店街のポルノ映画館に行って、友人たちと何をしようかとわくわく考えていたものです。自然には勝てない。里芋とトマトの作付けも、どしゃぶりも、震災でもそうですが、新たな予定をつくることのわくわく感を、実はコロナ禍の今も感じています。
猪瀬:新たな予定への期待感、共感できますね。僕は今、大人に頼っても仕方ないと考える子どもや若者たちが生み出すものに期待を寄せています。コロナ禍で僕たち大人は結局何もできていない。それを尻目に4〜5月の休校中は、公園に集まって暗くなるまで元気に遊んでいる小学生、中学生たちがいました。外出自粛に従わないのがけしからん、という意見もあるでしょうが、彼らがあの「自由」のなかで何をして、何を考えていたのかには興味があります。また、僕の知り合いの学生のなかには、オンラインになったことを逆手にとって大阪・釜ヶ崎のゲストハウスに長期滞在し、活動を手伝う人もいました。ストリートにも挑発的な活動が見受けられますし、コロナ禍で生まれる野生の知識や経験、それこそ新しい行動様式から逸れていくようなものに目を向けることで、これまでとは違う言説が見つかるかもしれません。
家成:それ、あると思います。しょうもない話なのですが、ある日、家で仕事をするのがしんどくなり、公園のベンチでパソコンを開いていました。すると、鳩の糞が頭に落ちてきて。「鳩の糞って、こんなにシャバシャバなんや……」と思いました。今までは仕事中に鳩の糞が頭に落ちてくることはなかったし、公園で仕事しようとも思わなかった。ましてや、出かけて15分で帰ることになるなんて想像もしなかったわけで(笑)。すごく楽しい経験でした。なにも突飛な行動じゃなくても、おもろいことって身近なところにありますね。日常でも、自然の理や異なるところから訪れる存在、そういうものに救われるんじゃないかと思います。
猪瀬:そうですね。自然の理のような存在を取り入れて生活していく手立ては、農園でなくてもいいわけです。たとえば、家成さんのスタジオがある「コーポ北加賀屋」のような場所もそうだと思いますが、どうですか?
家成:たしかにそうですね。見沼の福祉農園や山梨さんのみかん山など、いろんな人が集まってくるフィールドはおもしろい可能性で満ちている。コーポ北加賀屋もいろんな人の活動拠点になっていて、多くの人が訪れます。展覧会を開催するにしても、オープニングパーティーの入場人数に制限はかけず、来たい人が来る。農園であろうがコーポ北加賀屋であろうがそういう場所っていいものです。パーティーなのに老朽化で雨が漏るとか、トラブルももちろんありますが(笑)
猪瀬:雨漏りのパーティー、いいですね(笑)。あと、大阪で言えば、釜ヶ崎で活動するNPO法人「こえとことばとこころの部屋(ココルーム)」が大きな庭のあるゲストハウスをはじめたのは、ひとつ考えるべきポイントだなと思うんですよ。施設の柱を“ゲストハウス”と“庭”にしていて、庭にはバナナの木があり、井戸を掘るなどの活動もされている。街なかのメディアセンターだった以前と比較し、庭があることで何かが変わるような気がします。人と人とのコミュニケーションが生まれるだけでなく、人と人との間に自然のリズムが介在していることの重要性というか。そして、昨日ふと思いついたのは、庭があればトイレが詰まっても穴を掘って用を足せるのではないかということ(笑)。僕は、家は循環から切り離されたものだろうと思うんですよね。建築家である家成さんの考えもお伺いしてみたいですが、いかがですか?
家成:家は循環から切り離されてあるのか。実は、私もこの2年ほど考えているテーマです。慶應義塾大学SFCの松川昌平さんと「循環のなかに建築をどう位置付けるか?」という共同研究を行いましたが、都市部で実践しようとすると法制度が邪魔をします。建築では、外壁、サッシ、断熱材から内壁の構造に至るまで細かい取り決めがあり、決められていないことをすると大臣の認定が必要で、めちゃくちゃお金がかかります。また、上下水道につながらなければ役所から指導され、オフグリッドと言えども、既存のインフラがないと都市生活は成り立たたない。私たちはまるでチューブにつながれて寝ているかのような家に住んでいるわけです。さきほどの庭を掘って排泄する行為も、山中の隠れた場所ならやりやすいでしょうが、都会では難しいでしょうね。見沼の農園には、そんなアナーキーな空間がまだ残っていますか?
猪瀬:農園のことを考える上で本質的な部分に触れる話ですね。僕自身がまだ深く考えきれていない問題ではありますが、結構ギリギリだと思っています。
家成:具体的にはどういったところで?
猪瀬:農園をやっていくなかで、行政によってこれまで認められていたことが、突然禁止されることがありました。そのとき大事だったのは、相手の言っていることをそのまま受け入れたり、あるいは相手の意図を忖度したりするよりも、自分たちはこうやってきたのだという過去の経緯や、こうやっていくのだという意思を表示して、それを認めさせていくことです。これまで、焚火やキャンプ、あるいは農機具小屋の建設など、福祉農園を続けていくために必要なことを議論し、設置者である県にも説明しながら実施してきました。20年を超える活動で、それが既成事実化している一方、なぜそれをやっているのか、やれているのかが新しい仲間に継承されていないと感じる部分もあります。かつて見沼田んぼで計画されたゴルフ場の開発反対運動や障害のある人の就学問題など、農園ができるまでのプロセスと、どのようにして今日まで続いてきたのか。これを継承しないと、行政の意向や世間の目を忖度して、いつしか過剰に自主規制をする方向になってしまうかもしれません。コロナ禍でこの傾向に拍車がかかっています。感染リスク低減という強力な価値基準により、自分の暮らしに関わる判断まで他者に委ねてしまうことが暮らしのすべてを覆いつつあります。
家成:なるほど。実は今「パーティー」をテーマにした展覧会に向け、ものをつくっているのですが、私はこれを“継承”とまではいかないものの、人が集まれた時代の「パーティー」の所作を忘れないためのプラクティスだと思っているんですね。猪瀬さんのお話のとおり、それまでに何が起きたのか、変化のなかで記憶していくことの重要性を、あらためて認識しないといけないと思います。
猪瀬:「パーティー」の所作とは、また、めちゃくちゃおもしろいですね。ぜひ拝見したいです。それに近いものかはわかりませんが、最近、力強い言葉に出会いました。古い知人で、重度障害のある人の介助を続けてきた方なのですが、彼女は「その人がコロナになっても私は介助にいくし、自分がコロナになっても介助に行く」と言っていました。「自分たちの暮らしを続けていく」と。コロナ禍でも断ち切れない関係性、その覚悟、自分なりの価値基準……。さまざまなものが入り混じった言葉でした。今、なんとなく共有されている社会の目的意識にずれを感じている人はたくさんいます。よくも悪くもひとつの基準しかなく、ダブルスタンダードのない状況は息苦しいものですね。
家成:阪神淡路大震災に見舞われたときに、長屋に住んでいた方が郊外に移り住んだことで孤独死してしまうという出来事があったと聞きます。復興が先走ってしまうことで、地べたの生活が失われてしまった。目的が一本に収束していくのは、やはりまずい気がしますよね。私は、自主規制は本当にやばい代物だと思います。自らを規制しているうちに、いつの間にかそれが当たり前になってしまうのではないでしょうか。ダブルスタンダードとおっしゃっていましたが、そのためにも自分のなかにもいくつかの軸がある方がいい。猪瀬さんなら農園と大学みたいなね。複数の論理を行き来できる状況にいないと、しんどくなってしまいます。いろんな意味で楽しみ、ハッピーになりたいからこそ、都市と農村のハイブリッド感のように、多様な軸を持っていきたいと思いますね。
本記事の制作にあたり、『分解者たち』の撮影をご担当された写真家・森田友希さんに、山梨さんのみかん山の写真をご提供いただきました。あらためて感謝申し上げます。
猪瀬浩平 / Kohei Inose
1978年、浦和市(現さいたま市)生まれ。大阪の大学在学中の1999年から見沼田んぼ福祉農園の活動に巻き込まれ、そのうちに事務局長になる。2007年から明治学院大学教養教育センターの教員としてボランティア学を担当。主な著書に『むらと原発――窪川原発をもみ消した四万十の人びと』(農山漁村文化協会)、『ボランティアってなんだっけ』(岩波書店) など。