宇宙に運ぶアート
先日、とある大金持ちが宇宙にアート作品を持って行ったらしい。僕に言わせると、「いやいや、まだそれ宇宙じゃないでしょ」とは思ったが。ちゃんと地球とか火星に設置してこそ、“宇宙にアート作品を持って行った”ではないか、と思ったが、“何を持っていくのか”ということは大金持ちが独善的に決めるのではなくきちんと人類として話し合うべきだと思った。とは言え、それはどのような組織がどのように決定していくのだろうか。考えはじめるとなかなかややこしいプロセスをデザインしないといけないかもしれない。たとえば、火星に美術館をつくるとなるとどういう作品を運ぶべきか。僕はきちんとした理由でリストをつくれるがいろんなバッシングを受けそうである。結局はプライベートな美術館のほうが早いのかもしれない。
ちなみに僕はずいぶん前から、宇宙飛行士は全員コンタクトゴンゾを訓練に取り込んだほうがいいと思っているし、いますぐにでもワークショップはできる。
都市の所作
最近よく思うのだが、近所で路駐をしているのは大概外車である。なぜパーキングに入れないのか。また歩道を渡る際に右折なり左折なりに曲がる車が歩行者を見ても減速せずにそのまま歩道に向かい、あわよくば歩行者を止まらせようとする。これはここ数年特に増えたような気がする。僕はこういうとき一切止まらないのでよく睨まれる。社会のなかで優位にある立場の人が、そうでない人々にエンパシーを抱かないこの空気感はどういうふうに生まれたのか。ベルギーに行くとどんなチンピラみたいなやつが運転していても必ず歩行者のために停車するので驚いた。毎回驚くので、どんなとこから来たのだと思われてそうで恥ずかしくなる。
地球滅亡後のアートの扱い
最近は、歴史的な絵画にスープやマッシュポテトをぶちまけて環境破壊を訴えることが流行っているらしい。これらを見るたびに『アイアム・レジェンド』という映画を思い出す。ウィル・スミスが崩壊した後のニューヨークでゾンビらしき生物と戦いながら犬と一緒に一人暮らしている映画だ。主人公はMoMAとかから名画を持ってきて、家に飾っていた。人間のいない、経済活動も停止している世界で、これらの名画たちは何の価値もない。それなのに、やはり基地に飾ってみたいんだなという面白さがある。僕はこのシーンが大好きで、自分ならいったい何を持ってくるだろうかと想像する。また近所の国立美術館が地下にあるので、いつか南海トラフ地震が来た際には美術館ごと水没するのではないかと心配していて、自分は一応ダイバーズライセンスを持っているのでいつか救出にいこうと考えている。知っている人の段ボールでできた作品などは多分アウトだが、なかに古酒が入っていると本人から聞いたことがあるので、それは頑張って持って帰りたい。
映画に出てくる美術品はいろいろと言及できるものが多いのだが、一番はやはりバットマンの敵、ジョーカーが美術館を襲撃した際のものかもしれない。手下がいろいろな絵画にスプレーを吹きかけまくって破壊していたが、たまたまジョーカーがフランシス・ベーコンの絵画を見つけて、それも破壊しようとした手下を「I kinda like it (これ、なんか好きかも)」と言って止めるシーンがある。フランシス・ベーコンを知っていたということではなく、パッと見てこれを残すと決めさせたベーコン作品やっぱすげえなとなるわけである。これはもしかしたら純然たるキュートネスなのかもしれない。
NAZEのキュートちゃん
ゴンゾメンバーでもあるアーティストのNAZEくん(https://www.instagram.com/naze.989/)は、学生時代に京都市内の端で自分が描いた絵を生活費のために売ろうとしていたが「怖い絵ばっかりで人はそんなものを買わない、もっとキュートな絵を描かなければ」と思ったらしく、ニコニコしたネコのキャラクター「キュートちゃん」が生まれた。10年くらい前の話。そして先日、セレクトショップのサイトでその「キュートちゃん」の指輪を見つけて夫婦で買った。
うれしい
たくさんの人のいろいろな体の部位で木の枝をはさんで落とさないようにする、ということだけでパフォーマンス作品ができた。どこでも誰でもすぐにやれる。
INSIGHT:キュートネスの行方(或いはダメージの少ない歩き方について)
概要
キュートネスについて
アートは一部の人しか見ないのか
その2 3/31公開
宇宙に運ぶアート
都市の所作
地球滅亡後のアートの扱い
NAZEのキュートちゃん
うれしい
無題
ベルギーへ出張に行った
無題
無題
文化と都市のあり方について
韓国へ出張に行った
グラフィティ
正しいと面白いの分岐
アワード
無題
キュートネスの行方
塚原悠也 / Yuya Tsukahara
1979年京都市生まれ、大阪市在住。2002年にNPO DANCEBOXのボランティアスタッフとして参加した後、2006年パフォーマンス集団contact Gonzoの活動を開始。殴り合いのようにも、ある種のダンスのようにも見える、既存の概念を無視したかのような即興的なパフォーマンス作品を多数制作。またその経験をもとにさまざまな形態のインスタレーション作品や、雑誌の編集発行、ケータリングなどもチームで行う。2011〜2017年、セゾン文化財団のフェロー助成アーティスト。近年は小説の執筆を自身で進めている。