本企画の発端は、以下のテキストにある。2000年代初頭に大阪・新世界にあったフェスティバルゲート、そのなかのライブスペース「新世界ブリッジ」で活動していたアーティストたちに聞き書きを行ったインタビュー集(塚原悠也さん企画・構成)より。
たしかにいろいろなギャグセンスがハイレベルで問われる土地ではあるが、いいアーティストはそこを通り越して、ある種の虚無的な領域に踏み込んでいる。東京のような大きなマーケットから距離があることも影響しているのかもしれない。もっと簡単にいうと、独自にある種の「コンセプチュアル・アート」のようなものを無意識に形成している可能性がある。この部分はきっちりと検証され、ハイライトされるべきである。
『Trouble Everyday – interview magazine on live arts and lives of artists today – 001 “WEST SIDE” ISSUE』コンタクトゴンゾ(2018年)「はじめに」より
ここで書かれている“無意識”によって表出されるものを、塚原さんは2019年のインタビューで「キュートネス」と呼んでいた。この言葉にフォーカスして大阪や関西における表現の根っこにあるものを考えてみたいと、塚原さんに投げかけたのが2022年春。秋に開催するKYOTO EXPERIMENTの準備やそのほかリサーチなどで飛びまわる塚原さんから、しばらくしてぽつぽつとテキストが届いた。本連載では、その思考の断片とも思えるテキストを4つの記事にまとめ公開していく。
概要
前回、永江氏にインタビューしていただいた際に塚原が口走った「キュートネス」。表現行為の最前線で作品が自身の難解さをカモフラージュしながら少しでも人間界で生き延びようとするコンセプチュアルな表現について短くまとめたものであった。その続編について思考を巡らせたがなかなか思考の歯車が合わず思っていたよりも企画立案が難航し、逆にその原因を探った。
そんななか塚原は出張中のブリュッセルで帰国直前にコロナ陽性が判明し海外で一人隔離がはじまる。これは生産性を高めるチャンス、と思いきやこれは鬱なのか、ここ数年疑いはじめたADHDの影響なのか、進めるべきことが進まず気づけば日が暮れ心配事が増すばかりの日々を送っていた。
「キュートネス」は今どこで、何をしているのか。うまくつかめなかったが、ひとつ思い当たるのは最近よく聞くようになったような気がする「アート難しい、アートわからない」に多少なりとも原因があるのではないかと思った。そんなことは昔から言われてはいたが、それなりに大阪であったいろいろなイベントはどこへ行ったのか、アーティストランのおかしな企画がどんどんなくなってきた。同じように行政のアートイベントもややこしいことはせずに、ある程度言語で説明可能なもの、もしくはInstagramなどでちょっとバズりそうな技術高めのイラストなどを、アートフェアと称して企業が請け負うかたちで開催していたりする。あれ? なんか? 何がどうなってんの?
キュートネスについて
日本のアートの世界にもいろいろと変動が起きていて、そろそろこれまでの方法では立ち行かないし、アートと呼ばれる領域ももっと広く活動領域を広げて然るべきかもしれない。コンセプトとか、ステートメントとか、リレーショナルとか、カッセルとか、ベネチアとか、そんなの知らんがなという人たちにもアーティストは影響力をもち、関与することが必要なんだなと猛省している。そこでは現代アートのコンテクストや原理主義的な考え方は意味をなさないので面白い。
「キュートネス」を以前はおそらく文字どおり使っていた。しかめっ面で難解な思考を語らずとも、最小限の所作で伝えつつ「アートわからなフォビア」を回避しつつ、それを解体することは可能だろう。変なギャグを日々見聞きしたり、学校でもクールな人におもろい人が対抗できる関西の土壌には、その可能性があるのではないだろうか。「キュートネス」とは、難解とポップ、攻撃と懐柔、文化と個人、そういったものをつなぐブリッジのようなものかもしれない。それは今日的な技術の一形態とも言える。
アートは一部の人しか見ないのか
『プラダを着た悪魔』という映画がある。いろいろ省いて、有名ファッション誌のほぼ何もわかっていない新人アシスタントが、超セレブ編集長に、自分が着ている服について、「それは数年前のコレクションの流行りのコピーまがいのデザインで、その流行りはここで私たちがつくった」というようなことを言われるシーンがあった(後で詳細確認)。
このセリフを言い放つメリル・ストリープも好きなのだが(一番好きな出演作は『永遠に美しく…』かも)、内容そのものが好きで、これを聞いたときはこのファッションの流れや展開と同時に、アートもそこに並走しているだろうと感じた。たとえば、日本でも一時期やたらと蛍光ピンクをあちこちで見かけたが、それにもどこか源流があるのだろう。逆に言うと、もちろんアーティストは身のまわりのさまざまなことに影響を受けているが、何かの源流を生み出すような、ある種自由な思考状況を担保されているべきである。この映画の舞台となったニューヨークと比べて大阪の状況は、そこまでいろいろな領域の表現者が密接に影響を与え合っているのかというと怪しいが、都市のなかでの文化の潮流、その流れは注意深く見ていれば見えてくるものである。
僕自身、難波を歩いていて鮮やかな蛍光オレンジのグラフィティを見つけ、このタイミングや感性はここから数年意味をもつのではないかと勝手にバッチリ啓示を受けて、その当時とりかかっていた舞台作品のセノグラフィの基本色調としてオレンジを使うことにした。この仕事はバンコク、東京、パリではポンピドゥーセンターなどでも上演され、セノグラフィーでも東京のほうで賞をもらったりもしたので、難波にあった蛍光オレンジのグラフィティがダイレクトに、割とスピード感を持って国際的に拡散され(ウィルスよりは遅いかもしれないけど)、多くの人が見ている。何かを表出すれば、それが時間と空間を超えて他者に影響を与える。かつては、カオス理論などが文系の分野でも若干ファンタジックに援用されていたが、これはもっと確実で具体的な影響の話をしている。アクションとリアクションがさらに移動することによって都市の価値観の形成に寄与する。それは、アートを見ない人にも必ず影響している。
大阪でも文化状況はここ20年で激変してしまったが、その我らが張本人も毎朝起きて髪型を整え、着る服をある程度文化的な判断をもとに選んでいるのである。その判断基準のずいぶん先に膨大な表現に関する実験と検証、その専門家であるアーティストとそのコミュニティが存在する。アーティストはミツバチに似ている。アーティストは自信をもって自分が暮らしたい場所を選ぶべきである。きちんとした表現活動を実現させてくれる心地よいエリアを判断して暮らすべきである。そして場合によってはアーティストも連帯し、ストライキを起こし仕事をボイコットをすることなども考えて然るべきではある。僕たちが特定の市町村において仕事をボイコットをすることによって、数年後にはお前らはまともなネクタイすら選べなくなるのだということを知らしめたい。逆にまともなネクタイをしていると「俺らのおかげやぞ」といつも考えている。アートは見る見ないの問題ではない。それは常に存在していて都市のあり方に影響を与えている。
INSIGHT:キュートネスの行方(或いはダメージの少ない歩き方について)
その1 3/17公開
概要
キュートネスについて
アートは一部の人しか見ないのか
宇宙に運ぶアート
都市の所作
地球滅亡後のアートの扱い
NAZEのキュートちゃん
うれしい
無題
ベルギーへ出張に行った
無題
無題
文化と都市のあり方について
韓国へ出張に行った
グラフィティ
正しいと面白いの分岐
アワード
無題
キュートネスの行方
塚原悠也 / Yuya Tsukahara
1979年京都市生まれ、大阪市在住。2002年にNPO DANCEBOXのボランティアスタッフとして参加した後、2006年パフォーマンス集団contact Gonzoの活動を開始。殴り合いのようにも、ある種のダンスのようにも見える、既存の概念を無視したかのような即興的なパフォーマンス作品を多数制作。またその経験をもとにさまざまな形態のインスタレーション作品や、雑誌の編集発行、ケータリングなどもチームで行う。2011〜2017年、セゾン文化財団のフェロー助成アーティスト。近年は小説の執筆を自身で進めている。