鹿ヶ谷の法然院には福田平八郎の墓がある。筆で書いたようなのびやかな名前の文字を見て、代表作《漣》の水面を描く筆のストロークがすぐに思い出された。いつかその筆使いを実際に見たいと願っていたが、大阪中之島美術館で大規模な回顧展が開催されるということで期待を胸に美術館に向かった。
福田平八郎は1892年大分生まれ。18歳のときに京都に出て絵画を学び、その後は京都市立美術工芸学校や京都市立絵画専門学校で教鞭を取りながら画業を続けた。第二次世界大戦前後、日本古来の美術への批判が高まったなかでも日本画を追求し、晩年に至っては対象をおおらかに捉え、より造形的な画風に取り組んでいる。
展示では絵画作品とともに制作途中のスケッチや日々行っていた写生など作品完成までの歩みに触れることができる資料が多数展示されていた。福田は本質をつかむまで同じ対象を何度も描いていたというのがその量からも明らかだった。描くことは同時に物事を解明することでもある。福田と同時代には画業が本業ではないものの自然物の素晴らしいスケッチを残した科学者がいる。植物学者の牧野富太郎や貝類研究者の細谷角次郎が有名だが、これらの研究者にとって緻密に描くことは植物や貝のしくみを解体し、理解するための方法だった。一方、画家である福田はまず色から捉えている。写生をする際は必ず着色まで行い、季節や気候の移り変わりはもちろん、1日のなかでも刻々と変わる自然物の色や形を満足いくまで描いた。例えば、赤い花を描いてみると、朱や橙といった色が折り重なってはじめて赤を構成しているというように、ひとつではない答えに柔軟に向き合い、何度も同じ対象を描くことで豊かで奥行きのある絵画を生み出している。《竹》(1940年)は画面いっぱいに迫りくるような竹の肌を青緑黄などの色が入り乱れるかのように描いた作品だ。「昔から竹は緑青で描くものときまってるが、三年間見続けて来てるけど私にはまだどうしても竹が緑青に見えない」という言葉からも、福田が自らの眼差しと手から生まれるものに忠実である様子が想像できる。
多彩な主題のなかでも、瓦を濡らす雨が蒸発する瞬間、雪が地面に降り立つ瞬間、水の波紋など、決して止まることのない物事の表面、儚く消えてしまう現象に近いものを画面に再現しようと試みているのが印象に残る。《新雪》(1948年)は雪が地面にはらりと落ちた瞬間の質感に溢れた作品だ。雪が絶妙に抽象化されているにも関わらず、見るほどに新雪に指で触れたとき、足で踏んだときの感触が思い起こされ、冷気さえ感じるようで身震いした。
透明な水面のバリエーションは膨大で、緑、紫、黄など水の色のスタディや鳥や魚が行き来した後の水の揺らぎは描いても描いても足らないという様子だった。いくつも水面のスケッチを重ね、完成した代表作の《漣》(1932年)は琵琶湖湖畔で趣味の釣りをして、魚がしばらく釣れないので、微風に揺れる水面を眺めながらこれを描くことができないだろうかと考えたのがきっかけだという。背景にプラチナ箔を施し、画面全体に鈍く輝く揺らぎをつくりながら、柔らかい陽の光を映し出す波を表現している。作品付近には紙いっぱいに青い線を描き、自作の小さなフレームをあてがって、どの部分を切り取るかをテストしているスケッチが展示されている。
晩年に向けては観察によるリアルな質感と抽象的な形態が共存したような表現に取り組んでいる。《雨》(1953年)はまさにその代表的な作品である。暑い日の夕方、焼けた瓦の上にぽつりぽつりと落ちてはシュッと消えていく雨粒の跡。やがて、消えるよりも早く、大粒の雨が降ってくると、瓦はすっかり濡れて黒く艶めいた色になっていくだろう。そういった時間の移り変わりまでもが連想され、目の前に見ているのは絵画ではなくて、自然物そのものではないかという錯覚にさえ陥る。
膨大な量のスケッチと作品を行き来しながら、物事を見ることと記録することの境界が曖昧になっている現代に生きる自分について考えさせられた。携帯電話はおろか、写真を頼ることがなかった時代には、見ることの意味が今とは大きく異なっていたはずだ。すぐに手元の機材で像を固定させようとする自分の癖を戒めたくなった。
見ることとはなんだろう。対象の形と色を再現するとはどういうことなのだろうか。福田の写生やスケッチは追っても逃げていく何かをつかもうとしているかのように色とディテール、対象の空気感を紙の上に定着させようとしている。見ることと手を動かすことがともにあるのだ。おそらく当時、画業にたずさわる人々にとって写真は記録の道具であり、見たものの答えではないという確かな認識があったのだろう。
西洋絵画が存在感を増してくる時代を生きた福田平八郎。確かな技術という礎を持ちつつ、様式や歴史を超えて、今そこにある対象に忠実に向き合おうとする信念が数々の傑作を生んでいる。「現実よりもリアル」、「平面なのに立体」、「抽象だけど具体的」、作品を見ながらこういった対称的な価値が頭をよぎった。それは物事を能動的に見ることで、目が平面的な像だけではなく、ずっと立体的な情報を捉えることができるということを示しているのではないだろうか。
美大生だろうか、若い男性2人が展示を見ながら「俺たちもう3時間以上もいるよ。ずっと見ていられるよな。まいったなあ」と唸っている。そう、とことん見ることに時間をかけた絵画を鑑賞するには、時間がいくらあっても足りることはないのだ。
永井佳子 / Yoshiko Nagai
外資系企業の文化事業とデザインディレクションを15年間にわたり担当し独立。2020年よりMateria Prima 主宰。雑誌『Subsequence』編集、エルメス財団編『Savoir&Faire 土』(岩波書店刊)編集協力、学び続けるためのトークイベント「Hamacho Liberal Arts」(日本橋・浜町ラボ)、京都と水に関するプロジェクト「Water Calling」企画ディレクションなど、分野の枠にとらわれずクリエイティブを通じて現場と社会と環境をつなぐしくみ作りを行っている。京都市立芸術大学非常勤講師。
没後50年 福田平八郎
日時:2024年3月9日(土)〜5月6日(月・休) 10:00〜18:00(入場は17:30まで)前期:3月9日(土)〜4月7日(日)
後期:4月9日(火)〜5月6日(月・休)
*月曜休館(4/1、4/15、4/22、4/29、5/6は開館)
*会期中、展示替えあり会場:大阪中之島美術館 4階展示室
主催:大阪中之島美術館、毎日新聞社
協賛:損保ジャパン、大和ハウス工業
上記、大阪会場の展示は終了しています。
本展は現在、大分会場[2024年5月18日(土)〜 7月15日(月・祝)]で開催中です。