もはやオフィスにあるのがあたりまえのコピー機。ボタンを押せば簡単に文書や写真の複写ができる。この世界が、複製され大量に流通するイメージを前提に成立していることを最も身近に支えているものでもある。このコピー機を制作のメディアとして使う井口直人とTHE COPY TRAVELERSの2組を取り上げた展覧会「考える手、滞空する目」が、茨木市のクリエイトセンターと茨木市立ギャラリーの2会場を中心に開催された。
井口直人は、名古屋市内の社会福祉法人さふらん会さふらん生活園に所属し、2003年から現在に至るまで20年間にわたり、近所のコンビニで朝夕決まった時間に自撮りコピー作品をつくり続けている。自宅から通所する福祉法人での作業の前後に、近くのローソンまで出向いてコピー機にコインを入れ、ガラス面に作品の要素を手際よく配置し、片手ですばやくセッティングのボタン操作をこなしながら、自分の顔をコピー機に押しつけてスタートボタンを押す。出来上がった作品は、マゼンタやシアンなどへ強く色味が変調された空間のなかで、ガラス面に置かれた布や袋などのオブジェの合間に、押しつぶされて歪んだ井口の顔が不気味に浮かび上がるものとなる。顔面コピーの遊びは、誰しも試みた経験があるのではないかと思うが、それが20年間という長大な期間にわたって日々同じパターンで繰り返し行われてきたとすれば、まったく別の意味をもつ。
THE COPY TRAVELERS(以下、コピトラ)は、大学で版画などを学んでいた加納俊輔、迫鉄平、上田良の3人によって2014年に結成された京都を拠点に活動するアーティスト・ユニットで、コピー機やスキャナ、カメラなどを使い、あえて「複製」を前面に出した表現の可能性を探る活動を行っている。今回の展覧会は、茨木市が現代の作家を取り上げて紹介する企画展シリーズの43回目にあたるもので、担当する茨木市文化振興課が井口側とコピトラ側それぞれに声をかけ、全体のキュレーションをコピトラが担うかたちで開催された。
展覧会の会場は、茨木市のクリエイトセンター(市民総合センター)と阪急茨木市駅の駅ビル内にある市立ギャラリーをメイン会場とし、加えてフリンジとして、市立ギャラリー近辺の駅ビル内の一角「みるば」にて井口とコピトラの活動紹介の映像をモニターで流し、駅ビルに隣接する商業ビルsocio-1の使われていない店舗ウィンドウにてコピトラによるウィンドウディスプレイ風の大型コラージュ作品を展示した。こうして会場を街のなかに散在させたことも、コピトラのブリコラージュ的な意図の一端を成すように思われた。THE COPY TRAVELERSの「トラベラーズ」とは、実は彼ら自身ではなく、コピーされ、さまざまに変容・流転していくイメージの方を指すとのことで、そこにもソーシャルな意味合いが含有されている。
ブリコラージュとサンプリング。コピトラが今回の展覧会で示した「表現」について考えれば、この2つの言葉が思い浮かぶ。ブリコラージュは、本来の文脈から切り離し、寄せ集めて別の新たな文脈を召喚すること。ロジックに帰結されない偶然の出会いが、思わぬ美しさを生み出し、新たな創造の地平を示す。サンプリングは、特に音楽の文脈で言えば、ヒップホップやクラブシーンでのターンテーブルミュージックなどでお馴染みの、既存の曲の一部を多種多様なかたちで自在に抽出・引用し、再構築して新たな楽曲の素材として再利用する表現を言う。
コピトラは、雑誌やコミック、パンフレットなど、イメージが印刷された多種多様な媒体を3人それぞれが持ち寄り、集まった膨大なイメージのプールのなかから、作品の要素となるイメージの断片をサンプリングし、コピーし、おそらくは絵具や粘土といった素材を扱う感覚で、それらを対比的に併置したり、下のイメージに重ねたり、あるいは自在にそれらを切り抜いて成型し直したりといった、まさにブリコラージュの手法で作業を進めていく。彼らの特徴は、その引用性の徹底ぶりで、サンプリングそれ自体に彼らのアーティストとしての本質があると言ってよい。ロジックによって規定される構造の不在は、3人の活動のあり方にも見て取れて、メンバーには役割分担はなく、関わり方そのものが「気の赴くまま」のサンプリング的な感覚によるものらしい。
ここで注目すべきはコピー機の使用である。「やっぱりコピー機の持つ、素材を置いたらパッとイメージが刷られて出てくるというスピード感は魅力的」と雑誌のインタビューで述べているように【1】、イメージを配置する可塑性においてコピー機は重要な役割を果たしていよう。と同時に、オリジナルのコピーで埋め尽くされたいわば「複製芸術」の立場から、彼らは逆に、芸術の「本物崇拝」に対する意義申し立ての発言権を獲得したような形にもなっている。複製であって一体何がいけないのか?
「本物を崇高、一番上とする、というかたちをできる限り崩せる方が/まあそんなものはないよ、という感じで/オーラが失った時に初めて見えてくるみたいなものがあるんじゃないかと思うので」【2】。これは展示されていたインタビュー映像の一節だが、果たして、このことと関係しているのかはわからないが、コピトラの作品を見て感じるのは、配置された色の取り合わせや形態が生み出すリズムは、軽快なジャズのセッションのような非常に心地よい響きを奏でているものの、なぜか個々のイメージからは意味のスイッチが入らない。隣接した個々のイメージが何であるのかを具体的に認識するのだが、作品全体の印象はフラットで、どちらかというとオールオーバーな抽象絵画の画面を見ているような印象を受けた。これは興味深いことに、クリエイトセンターで展示されていた、大量のイメージの紙片とともにアクリル板やビニールチューブなどを「モノ」として集め、いったんジオラマのような景色を構成し、それを写真に撮ってつくられるタイプの作品でも、ほぼ同じような印象であった。観る者の脳内で、個々のイメージの実存性が消され等価物として均一化されるような作用が起こるのか。
市立ギャラリーの会場では、井口とコピトラの作品が、おそらく意図的にほぼ同じ形状に揃えられて交互に展示されており、一見したところ、作品がどちらのものかわからない。扉サイズの大きなパネルの上にA4のコピーが隙間なく貼られたものが4点水平に横たわっている。ただ、よくみると、交互に置かれた井口とコピトラの作品の間で明らかに違うシグナルが発せられているのを感じた。
井口の作品は、四角いコピー機の枠のなかにさまざまなオブジェと一緒に写り込んだ自分の顔を見せている。その顔は、ガラス面でつぶれた鼻や目が際立ち、色調のバランスが著しく偏った歪んだ時空の闇のなかから、あたかも水没した人物がガラスの天井に向かって必死に脱出を試みているような、切迫感なようなものさえ感じらえる。
一方、コピトラの作品は、徹底して「脱・構造」や「脱・理性」を掲げて、多種多様な形象の組み合わせや、色彩の配合を試し、その結果、圧倒的に洗練されたグラフィカルな作品が生まれた。それを眺めることは、まさに良質な音楽に身をゆだねている感覚に近い。
ここで感じたのは、この2者のアーティストとしての似て非なる決定的な違いである。井口の制作は、自己に課した日課の一部として近所のコンビニに行き、コピー機に顔を押しつけて、出来上がった作品の出来不出来で自分の心が満たされる、そんな行為なのではないか。そこに鑑賞者は不要で、あるのは自分と作品との対話のみである。ドキュメント映像を見ると、普段の井口の顔は、眉間に深い皺が刻まれた哲学者のような苦悩の表情が印象的で、しかし、作品のなかでおぞましく歪んだ顔には、どこか何かから解放されたような優和さも感じられる。
それに対してコピトラは、プロフェッショナルなアーティストとして自分たちを社会的に成立させることを当然目指し、そのために自らの芸術のあり方を思考し、方向性を立て、いわゆる美術の業界と関わりながら活動する。美術館関係者や、ギャラリー、コレクター、そして鑑賞者の存在が彼らにとって重要なステークホルダーとなる。その部分において、彼らは成果を上げつつあると言うべきだろう。
ここで井口とコピトラの芸術の優劣を語ることは、まったく意味がない。作品は、それに触れた鑑賞者の内部で起こる何らかの感応作用によってはじめて意味をもち、それは鑑賞者の判断にゆだねられるべきものであるからだ。タイトルの「考える手、滞空する目」が、制作に向き合う作家の態度についての言及であることに注目したい。素材の扱いを手元の即興的な感覚に託して「考える」手、そこにある素材のイメージを客観的な俯瞰の視点で眺める「滞空する」目。それらは、すなわち、作品を鑑賞する者の態度と表裏のものでもあるはずだ。
【1】「青空が映るコピー機、複製芸術の可能性。THE COPY TRAVELERSインタビュー」2020.2.5
https://bijutsutecho.com/magazine/interview/21187【2】「考える手、滞空する目 井口直人、THE COPY TRAVELERS」展「みるば」会場で展示されていたインタビュー映像より
大島賛都/Santo Oshima
1964年、栃木県生まれ。英国イーストアングリア大学卒業。東京オペラシティアートギャラリー、サントリーミュージアム[天保山]にて学芸員として現代美術の展覧会を多数企画。現在、サントリーホールディングス株式会社所属。(公財)関西・大阪21世紀協会に出向し「アーツサポート関西」の運営を行う。
会場A 茨木市立ギャラリー
会期:2023年8月4日(金)~22日(火)
時間:10:00~19:00 ※最終日は17:00まで
休館:8月16日(水)
会場B 茨木市市民総合センター 喫茶・食堂スペース、Socio-1 2Fウインドウ、みるば
会期:2023年8月4日(金)〜27日(日)※会期中無休
時間:10:00~19:00
※期間中無休、市民総合センターのみ8月19日(土)、20日(日)休館問合:072-620-1810(茨木市市民文化部文化振興課)