
中之島の国立国際美術館で継続的に開催されている上映企画「中之島映像劇場」。第30回は、「消失点にて|At the Vanishing Point」というタイトルで、2026年10月25日(日)に開催される。
企画担当は国立国際美術館客員研究員の馬定延。
今回は、身体の動きを言語とは異なる方法で書く/記す映像のさまざまなあり方をテーマに、6作品を上映する。
桝田和三郎(マスダ・ワサブロウ、1896-1978年)による《宝塚 崔承喜の野外舞踊を撮影する會》は、「半島の舞姫」と呼ばれていた崔承喜(日本語読み:サイ・ショウキ|韓国語読み:チェ・スンヒ、1911-1969年)による野外舞踊の撮影会の記録。神戸市の会社員であった桝田のカメラが、写真にはあまり残っていない、ポーズとポーズの間に浮かぶ崔の照れ顔や女性観客の表情を印象的に捉えている。
渋谷昶子(シブヤ・ノブコ、1932-2016年)監督による日紡貝塚女子バレーボールチームの映画《挑戦》は、高度成長期の日本社会における女性のスポーツと労働、またその背後にある努力を浮き彫りにした作品。1964年にカンヌ国際映画祭短編部門でグランプリを受賞した。
現代美術、建築、ストリートカルチャー、食などの多岐にわたる分野で活躍したゴードン・マッタ=クラーク(Gordon Matta-Clark、1943-1978年)の《日の終わり》は、取り壊し予定の建築物への詩的な介入を撮影したもので、人間と人工物、そして太陽による協働から作品が生まれる瞬間が刻まれている。
プログラムの後半では、舞踊と演劇の手法を融合させた「タンツテアター」の創始者、ピナ・バウシュ(Pina Bausch、1940-2009年)の代表作《カフェ・ミュラー》(1978年初演、1985年のヴッパタールの公演記録)を上映。幼年期の追憶に着想を得た舞台に、孤独、愛着、喪失、暴力、容赦などが交差する中、眼を閉じてある動きを反復するバウシュの姿は、一回限りの人生に宿る尊厳について考えさせる。
《Lights(Body)》(2000-2002年)は、2015年に国立国際美術館で個展「ヴォルフガング・ティルマンス Your Body is Yours」を行った、写真家のヴォルフガング・ティルマンス(Wolfgang Tillmans、1968年生まれ)が、はじめて発表したビデオ作品。エレクトロ・デュオのエール(AIR)の「Don’t Be Light(The Hacker Remix)」が流れる中、光に抽象化された身体の動きが、記憶と想像力を刺激する。
《国境を消す》は、アナ・テレサ・フェルナンデズ(Ana Teresa Fernandez、1981年生まれ)が、2011年にメキシコとアメリカの国境地域の海岸で行ったパフォーマンスの記録。今日にも続いている分断と葛藤を視覚化した柵に色を塗り、背景にある空と海との境界を消していく身振りから、彼女自身を含む移民からの抵抗のメッセージが読み取れる。
ダンスは、永遠の消失点に存在する。それは創造されたその瞬間に消え去るのである。ダンサーがスタジオで重ねてきた長年間の稽古、振付家の計画、リハーサル、デザイナーと作曲家とテクニシャンの調整、資金調達と観客の集まり、これらのすべては、まさに具現化の瞬間に消え去る出来事のための準備にすぎない。これほど捉えどころがなく、捉えきれない芸術はほかにない[1]。
ダンス評論家のマーシャ・シーゲルは、著書『消失点にて』(1972年)の冒頭で、このように書きました。確かに、一回性や一時性、流動性などは、あらゆる身体表現を特徴づける性質だといえます。フェミニズムとパフォーマンスを専門とするペギー・フェランは、こうした性質から資本主義の商品経済や大量生産に対する抵抗と解放の可能性を見出して、複製を伴わない表象としてのパフォーマンスの存在は、「消滅(disappearance)」を通じてそれ自体になると述べました[2]。
その一方で、観客の体験の中で「記憶」に変容され、映像やテキストという「記録」に変換されることは、作品が別の形で過去と未来につながっていくものだと考えることもできるでしょう。そうした記録化があって初めてパフォーマンスについて語り得る条件が作り出されると指摘した、演劇研究者のエリカ・フィッシャー=リヒテは、「上演の流動性と、その上演をビデオや映画、写真、記述で記録化しようとする不断の試みと、両者の間に生まれる相互的な反省の緊張関係こそが、上演の一時性と一回性を決定的に示す」と書きました[3]。 さらに、パフォーマンス研究者のレベッカ・シュナイダーは、既成の視覚中心主義やアーカイブの論理から脱却して、パフォーマンスの示す、歴史に対する異なる認識方法、異なる記憶のあり方、異なる残り方に光を当てることを提案しました[4]。
国立国際美術館で現在開催中の「笹本晃 ラボラトリー」展を見た観客なら、パフォーマンスと映像の間の多様な可能性に気づいたのではないでしょうか。まず、パフォーマンスの様子を有観客あるいは無観客の状態で撮影した2種類の「パフォーマンス記録映像」があります。また、観客を入れずに事前に計画を立てて撮影した「Movie|映画」という映像作品があります。そして、彫刻的装置と映像、作家の身体的行為を包含する複合的パフォーマンス《Yield Point(降伏点)》(2017年、国立国際美術館所蔵)には、金属とゴミ袋のような物の降伏点引長実験を撮影した映像が含まれています[5]。国立国際美術館の展示室で、インスタレーションの一部として壁面に投影されているこれらの映像は、昨年の東京都現代美術館の展示室では、独立した映像作品としてモニターを用いて展示されていました。こうした柔軟性は、ライブ性(liveness)とメディア技術による媒介化(mediatization)の歴史的関係を、対立ではなく、相互依存と重畳の関係として捉える必要があると主張した、フィリップ・オースランダーのメディア論と繋がるところがあり、興味深いです[6]。
[1]Marcia B. Siegel, At the Vanishing Point, Saturday Review Press, 1972, p.1.
[2]Peggy Phelan, Unmarked, Routledge, 1996, p.146.
[3]エリカ・フィッシャー=リヒテ『パフォーマンスの美学』中島裕昭、平田英一朗、寺尾格、三輪玲子、四ツ谷亮子、萩原健訳、論創社、2009年、113頁。
[4]Rebecca Schneider, Performing Remains, Routledge, 2011, p.98.
[5]植松由佳「《Yield Point》と制度の降伏点–笹本晃の実践と日本の美術館におけるパフォーマンス作品収蔵の課題」、国立国際美術館、2026年参照。
[6]Philip Auslander, Liveness (Third Edition), Routledge, 1999/2023, p.28.(プレスリリースより)
第30回中之島映像劇場「消失点にて|At the Vanishing Point」
日時:2026年10月25日(日)14:00〜16:00予定(13:45開場)
会場:国立国際美術館 地下1階講堂
上映作品(上映順):
桝田和三郎《宝塚 崔承喜の野外舞踊を撮影する會》(1935年、4分)
渋谷昶子《挑戦》(1963年、33分)
ゴードン・マッタ=クラーク《日の終わり》(1975年、23分10秒)
ピナ・バウシュ《カフェ・ミュラー》(1978年作、1985年公演記録、48分54秒)
ヴォルフガング・ティルマンス《Lights(Body)》(2000–2002年、5分9秒)
アナ・テレサ・フェルナンデス《国境を消す》(2011年、3分30秒)料金:参加無料
定員:先着100名、全席自由
参加方法:当日10:00より地下1階インフォメーションにて整理券を配布(1名につき1枚)主催:国立国際美術館、国立映画アーカイブ
協賛:公益財団法人ダイキン工業現代美術振興財団
企画担当:馬定延(国立国際美術館 客員研究員)問合:06-6447-4680(代表)
大阪市北区中之島4-2-55






