ニューヨークと日本を拠点に活動する彫刻家・青野セクウォイアの展示が、心斎橋のYoshiaki Inoue Galleryにて開催。
青野は1982年イタリア生まれ。東京で育ち、2007年に東京藝術大学大学院修了。
同ギャラリー初個展となる今展では、自身のスタジオ近辺で見かける石灯篭から発想を得た作品を発表。等身大作品を中心にしたインスタレーションと、木彫のミニセルフポートレートも展示する。
アーティスト・ステートメント
関ヶ原にある石材所の一部をスタジオとして間借りするようになって、数年が経つ。近年は日本にいる時間のほとんどをこの場所で過ごしている。
スタジオの近所を車で行き来していると、よく道端に石の灯篭が立っていることに気づく。東京で育った私にとって、それは少し珍しく、奇妙な光景だった。近所に石材所が多いことも関係しているのだろうか。
そんな中でいつの頃からか、隣町に移動するときに目にする1つの灯篭が何となく気になり始めた。一言でいえば、その灯篭はまるで人間のように見えるのだ。ふとした拍子にそれが視界の隅をかすめると、誰かとすれ違ったと錯覚して振り返ってしまう。サイズやプロポーションが直立した人間に似ていて、火袋のあたりからは目線を感じる気もする。灯篭自体はそこまで古いものではなく、「石に魂が宿っている」とか、そういった怪談めいたことを言いたいわけではない。私にはたまたまそう見える、というだけの話だ。
今回の展覧会でメインとなる新作は、そんな日常の1コマに端を発している。人のような灯篭を見ているうちに、人間と灯篭を組み合わせた彫刻を作ってみたくなったのだ。そして制作を進める中で、それは次第に私にとって重要な意味を持つモチーフだと思えてきた。死者の魂を導き、弔うという灯篭の機能は、私が歩む「彫刻」という道を照らしてくれるものだとも感じられる。芸術や創造は、どこか冥界のような場所と繋がっているからかもしれない。あるいは「何かを照らすために立っている」という状態は、それ自体は主役ではなく、いわば引き立て役・脇役にすぎないということを意味している。「目立つこと」をなるべく避けて幼少期を送った自分にとって、それは少し親近感を持てる在り方だ。そんな存在が主役になる作品を作ってみたいと私は思った。
今回の展覧会では、この作品を中心としたいくつかの新作たちを、インスタレーション的に配置する。そしてその構成要素の中には、「4」や「13」といった、日本や欧米で不吉とされる数字が隠されている。また私が普段ベースとしている西洋の彫刻技術のみならず、仏教美術や石庭など、アジア的な造形を参照した部分もある。これら1つ1つの発想の組み合わせも、きっかけはあくまで日常の思いつきに過ぎない。しかし同時に、現在のコロナ禍において、私のもう1つの拠点であるニューヨークでアジア人が厳しい立場に追いやられていることなどが、制作のプロセスにも影響している。アジアや欧米の文化を見直し、今一度自分のアイデンティティを捉え直し表現したい、という思いが今の私にはある。今回の展示が、この厳しい状況下にも関わらず会場に足を運んでくれた人たちにとって、わずかでも未来を照らし出すものとなってくれたら、と思う。
会期:2021年6月19日(土)~7月15日(木)
会場:Yoshiaki Inoue Gallery
時間:11:00~19:00
休廊:日曜、祝日
問合:06-6245-5347
大阪市中央区心斎橋筋1-3-10 心斎橋井上ビル 2、3F