関西を拠点に現代美術の制作・企画を行う佃七緒(つくだ・ななお)と、パフォーミングアーツの研究を行う庄子萌(しょうじ・もえ)によるアーティスト・リサーチユニット「ねる neru」。美術などの展覧会や演劇・パフォーマンスを鑑賞するときに、鑑賞者が「どのように作品と時間を過ごす(または過ごさない)か」を中心に、アートの企画設計を研究・試行している。2024年春からは神戸・岡本のOAG Art Center Kobeにて、公募で集まったつくり手たちとともに、作品の鑑賞体験を探る・試す・観る・話す場をつくる月1回程度の「実験会」を開催。
そんな「ねる neru」のふたりが、Instagramを用いてまるで往復書簡のように「鑑賞」にまつわる日々の気づきをアップしている。本連載では、そのやりとりの一部をのぞき見る。
鑑賞の距離
静岡に来ている。
ひとりずつ公共の空間に点在して、それぞれの役回りで主人公さんとなり、観客さんと関わったり関わらなかったりする仕組みなので、リハーサルもひとりずつ。お互いに観客さんをやったり、反応の選択肢と可能性を探りながら、流れと動きを確認する。
鑑賞する/されるのは明日から。
前からずっと行きたかったサウナが静岡にあったじゃないかと思い出してバスに乗って来た。
湯気のなかでお湯に浸かったり、サウナから出て腰掛けたりしながら、すでに空間がもつルールをじわじわ習得していきながら、その場に耳を傾けるようなパフォーマンスが私はどこまでも好きなんだなと考える。周囲の振る舞いに身の丈を合わせていくような心身の動きに『You Me Bum Bum Train』【1】の素晴らしい混沌を思い出したりもする。
階段に導かれるまま間違えて浴場ではなく休憩室にたどり着いてしまったり(あんなに大きく女湯と書かれているのにもかかわらず)、ぼうっと腰掛けながら壁のタイルの割れや、石鹸置きに沈み込んで底面がぎざぎざになっていなければ石と見紛うような灰色の石鹸を眺めたり。鑑賞には作品との距離が必要だけれども、観客自らperformする場にあってはその距離は自分に端を発する距離なのかもしれない。自分とそこから伸びる意識の半径のなかにあるものとの距離。自分が行為するとき、自分が見られている可能性と俯瞰して自らを眼差す自分に意識的になる。
湯気のなかにいろんな人がいて、でも誰もがひとりで来ていて(ここは重要。知り合いと一緒に入っちゃだめ)誰がパフォーマーなのかわからない、お風呂とサウナでひとりの時間を楽しんでいる間に何か起こるかもしれません、というパフォーマティブな介入のある銭湯体験をつくりたくなりましたがどうですかね。
2024年5月3日(金)庄子萌
【1】You Me Bum Bum Train
2004年、イギリス・ブライトンの美術大学に通っていたケイト・ボンドとモーガン・ロイドが考案したインタラクティブ・パフォーマンス。参考:The Standard インタビュー記事より(2015年8月11日)
観客とルール
オーバー60(がメインと思う)音楽の祭典、「春一番」に数年ぶりに行った(写真のなかにうちのオーバー60な両親もいる)。
いまだに大人じゃない感じの大人たちや、大人風になったけど楽しみたい大人たちが(それでも無法な若者よりやっぱり大人で)、ここだけ、とはっちゃけに集まる感じがいいなといつも思う。
かつてはNO WARと言っていた人たちも、今はさまざまなスタンスで集まる。時代遅れのNO WARにならない伝え方を模索してる人もいるのかなとも思う(本来は全然時代遅れじゃないトピックのはずなので)。
会場の端っこにあるお手製の喫煙所から流れてくるタバコのにおいと缶ビールのにおいは1日中途絶えず。出演者のお孫さんか?というキッズが走り回っていたり、手乗りインコを撫でながら観てるおばちゃんもいたり。出演者ものんびり座って観て、出番じゃない日もステージに上がったりする。
元々の傾向もあるが、長い年月をかけて、関わる人や観にくる人や社会状況が自ずと「いろいろ」になって、「まあほないろいろを受け入れようや」とイベント自体の懐が勝手に深くなった部分と、次の世代にもつなげられたら、と頑張って懐を深くしてるつくり手とが両方いそうやなと思う。
普段は怒鳴りつけてきそうな懐の深くない人たちも、ここにおるときだけは人をいつもより許してそう、と感じる。
下の世代の私は、同じくやや下の世代の観客の微妙なマナーの悪さに多少苛立つこともあり(マナーマナー思う現代人な自分の気持ちに嫌になりつつ)、与えられたゆるさをうまく楽しみきれなかったりもする。
観る場所のルールや条件が形だけひとり歩きせず、観る体験に組み込まれるように全体をつくるとかもちろん意識的に全部はやりきれず、その空間を共有する積み重ねでしかできないこともあるんやけど、でも忘れたくはないなと思う。
2024年5月7日(火)佃七緒
佃七緒 / Nanao Tsukuda
2009年京都大学文学部倫理学専修卒業、2015年京都市立芸術大学大学院美術研究科(陶磁器)修了。国内外に滞在し、他者の日常にて行われる周囲の環境や状況への「カスタマイズ」を抜き出し、陶や布、写真、映像などを用いて表現している。近年の活動に、個展「地のレ展」(NIHA / 京都 / 2023)、La Wayaka Currentでの滞在制作(アタカマ砂漠・チリ / 2023)、「RAU 都市と芸術の応答体」に参加(黄金町・神奈川 / 2022)、京都 HAPS での企画『翻訳するディスタンシング』資料集出版(2022)、など。
https://nanaotsukuda.com/庄子萌 / Moe Shoji
京都大学にてフランス文学と英文学を学んだのち、2010年より渡英。英シェフィールド大学にて演劇・パフォーマンス研究の分野で2021年に博士号取得。ものの《あわい》にあるもの、そこで起こる事柄に深い関心を抱き、パラテクストの概念を応用した、パフォーマンス作品およびパフォーマンス・フェスティバルの分析を目下の研究テーマとしている。研究活動と並んで翻訳も行うほか、現在は演劇や翻訳と同様にパフォーマティブな営みである言語教育への関心も深めているところ。