大阪の下町・淡路で自転車屋・タラウマラを営む土井政司さん、鳥取の温泉街・湯梨浜町でセルフビルドの本屋・汽水空港とターミナル2(食える公園)を営むモリテツヤさん。ふたりは、「経済をまわせ」という掛け声の大きいこの時代に、人間らしい暮らしのあり方を模索し、自分の信じたものを商い、生活の活計を得ています。「信じるに値する価値観を地べたからつくるには?」という問いを投げかけてはじまった本往復書簡。ふたりのやりとりは、どのような思索へとつながっていくのでしょうか。
4便目は、土井さんからの「モリさんが最も大切にされている本、ある或いは人と本を巡るエピソードなどがあればぜひ是非ともお聞きしたいです。」という問いかけを受け、モリさんが忘れられない人物との出会いを語ります。
言葉と出会う
土井さん、こんにちは! 返信ありがとうございます。
そうなんです。「聖者になんてなれないよ だけど生きてる方がいい」と、THE BLUE HEARTSの『TRAIN-TRAIN』の詩のように生きているだけです。ですが、これまで生きてきて出会った人々のなかには、聖人君子かどうかはわかりませんが、僕の生き方そのものに影響を与えてきた人がいます。それはまさに土井さんの言う「本は何も諭さず何者も導かない」のように。
その人は、もともとペシャワール会で働いていた人で、ぐっさんといいます。紛争の激化でアフガニスタンから帰国後、農学校のスタッフをしていました。僕はボランティアスタッフとして彼らの手伝いをしていたのですが、ある時、人生に悩める若者が将来に不安を抱きながらぐっさんに相談をしていました。ぐっさんは若者に「なんでも好きなことして生きたらええやん。僕と知り合った時点で餓え死にはせんやろ」と、なんでもない顔と口調でその言葉を放ちました。西陽の射す夕方の畑で、僕は近くで鍬を振りながらその言葉を聞き、それまでに味わったことのないような感覚に襲われました。それはぐっさんが心から「当たり前」として放った言葉だということが伝わってきたからで、事実、その後から現在にいたるまで、僕のもとにも、当時悩める若者だった彼のもとにもぐっさんのつくる米や野菜が届きます。
ぐっさんの「当たり前」のなかに「善きこと」という判断基準があるのかどうかはわかりませんし、アフガニスタンでの体験を饒舌に語るということも彼はしません。ただ、行動の一つひとつを通して、彼が自身の体験から編み上げてきた心のありようが伝わってきました。その心のありようは、人を諭すでもなく、導くことを目的としたものでもありません。ただ僕は、光に当てられたようでした。そしてその光は今も僕の行動や考えを照らしているように感じます。このことは、特定の宗教や信仰をもたずとも、人は自身の経験から光のようなものを心のなかで編むことができるのではないか、という可能性として僕に示されました。その後、僕はペシャワール会の活動と、その代表である中村哲さんの著書とも出会いました。
人はみな生きていくなかで、それぞれに似たような経験をするものだと思います。人生に強く印象に残る言葉や態度、行動を目にして、それが心のなかに詩として残り続けるような出会いが。その出会いは実在の人物である場合もあれば、そうでない場合もあります。自分の心に炸裂するような言葉が放たれたのは、遠い過去、遠い場所である可能性もあります。その言葉と出会わせてくれるのが本なのだと僕は思っています。
僕の場合は、『森の生活』を書いたヘンリー・D・ソローとの出会いに励まされました。小屋を建てる前、建てている最中、「なんでわざわざ自分で家を建てるのか。良い給料を稼げる仕事をして大工に頼めばいいじゃないか」という意見をよく言われました。この現在の経済システムへの批判、馴染めなさを口にしても、大多数からは「最近の若者の考えることはわからない」と言われるだけの日々。そのなかで、約200年前に生きたソローが僕と似た感覚で生きていたのだと知ることは、親友を見つけることと似ていました。それが勘違いだとしても、本は人に生きていく勇気を与えるものだと思っています。だからこそ僕は、本屋を運営しているようなものです。
土井さんの書いた『DJ PATSATの日記』を読み、タラウマラで販売される自転車と本、そして音楽活動が土井さんたちの収入源であり、それが人との交流の根底にもあり、表現活動としても存在している様子に僕は正直嫉妬しました。そのすべてに嘘がなく、そのすべてが人間にとって必要なものだと思うからです。
実は僕も自転車屋兼本屋をやりたいといつも密かに思っています。東南アジアの路上で見るような自転車屋台、自転車タクシーがまちを駆け巡るような風景に強い憧れがあります。僕自身も焼き芋を売り歩くための自転車屋台を自作しています。ですが、田舎であればあるほど車社会は進んでいます。鳥取の路上では今、ほとんど人は歩いていません。自転車を漕いでも人と出会うことができないと、自転車屋台をつくった後に気づきました。アホです。さらにさまざまな店の立地は、駅からも遠く、自転車で行ける範囲内にもないことがほとんどです。まちのつくり自体が車を所持していることを前提とされています。
汽水空港のあるまちにもかつて商店街がありましたが、今では数軒を残しほとんどが店を閉めています。店がなくなった時期と自動車が普及した時期には相関関係が見られるそうです。隣近所で買い物をするよりも、少し遠くのスーパーでより安く買うほうがいい。そうした住民の集合意識が、徒歩圏内で買い物ができないまちをつくってしまいました。時が経ち、現在どうなっているかというと、免許を返納した高齢者は必需品の購入代金より高くつくタクシー代を払って買い物へ行きます。そして車を所持することのできない若い層は、高すぎる電車賃を払うことができず、遠くのまちへ行くことも難しくなっています。
自分がどのようなまちで暮らしたいかということは、自分がどこに金を落とすかということでもあります。金にも自分の意志を乗せて使いたい。それが「日常で意思を示したい」という言葉のなかに含めていきたい気持ちのひとつです。
土に近い暮らしをしたいと望んで、こうして田舎に暮らしているわけですが、田舎は利用者の減退で公共交通機関も崩壊しつつあり、まちのつくりによって、結果として路上からも人の姿が消えています。人のつくり出す文化も、人がつくるインフラの上でしか成り立たないものが多くあります。だからこそ、インフラの整った都市ではなく、この田舎で、土と文化のちょうどいい地点を探りたいし、つくりたい。それが今の僕の強い望みです。
ベケット、僕も読んでみたいです。ベケットが訳したアントナン・アルトーの『タラウマラ』は読んだこともないのに、土井さんが店名にするくらいだからきっと名著だろうと予測し、店で仕入れるために先日発注しました。
DIALOGUE|小さなまちで商うふたりの往復書簡:土井政司(タラウマラ)×モリテツヤ(汽水空港)
第1便 まちに門戸をひらくということ
第2便 本屋の必要性が浮かび上がるとき
第3便 私にとっての信仰とは
第4便 言葉と出会う
第5便 小さなアジールをめざして
第6便 人生を味わうために
モリテツヤ / Tetsuya Mori
1986年生まれ。北九州、インドネシア、千葉で育つ。農業研修を経て作物のつくり方を学んだ後、土地探しを開始。2011年に鳥取漂着。3坪の自邸をセルフビルドし、店舗となる物件を改装後、2015年に本屋「汽水空港」を開業。以降、本屋の経営と田畑や建築、執筆などをしながらどうにか今まで生きている人間。